「問題の解き方は分かるけど、解く理由が分からない?」その疑問の先にあった驚愕の真実とは!?

「問題の解き方は分かるけど、解く理由が分からない?」その疑問の先にあった驚愕の真実とは!?

「この勉強、実社会で役に立つの?」「テスト以外に役に立たないんじゃないの?」
こんな何気ない疑問の先にはとてつもなく大きな真実が待っていました。
この疑問に完全に答えているのはこのブログだけ!!
最後まで読んだらきっと、目からウロコが落ちますよ。

「問題の解き方は分かるけど、解く理由が分からない?」そんな何気ない疑問の先にはとてつもなく大きな真実が待っていました。教育だけでなく、社会すら揺るがしてしまう真実です・・・。
いや・・・盛り過ぎかな? ・・・とにかく読めばあなたもきっと驚く事間違い無し!!
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このブログは、全2回で完結します。
誰しもが1度は疑問に思う学習内容。
読みやすい様に逆からアップしたので、
「驚愕の真実」を知りたい人は
順に下層ページを読んでください。

少々はなしが脱線していったとしても、
流れがおかしく感じたとしても、
気にせず読み進んでもらえれば、
きっと最後には目からウロコが落ちると思います。



「この勉強、実社会で役に立つの?」
「テスト以外に役に立たないんじゃないの?」

こんな疑問を感じた事ないですか?

そんな疑問が浮かんでしまっては勉強に集中出来ないですよね。
全力を出し切れないですよね。


疑問だらけの勉強


高校以降の勉強は実社会ではあまり役に立たないモノが多いのは事実です。
では何故そんな勉強をしなければならないのでしょうか?

親に聞いても、学校の先生に聞いても、塾の先生に聞いても、
誰も納得のゆく答えを聞かせてはくれないはずです。

また、そんな疑問を口にしたら、
まるで勉強が出来ない言い訳でもしたかのような扱いを受けたりしませんか?

そんな疑問を持つことはおかしい事なのでしょうか・・・?

そんなことはありません。その疑問は最もな疑問です。

そこで、誰も答えてはくれないその疑問に、完全にお答えしたいと思います。

但し、これを知る事があなたにとってプラスに働くか、
それともマイナスに働くかは分かりません。

これを知った事で、納得して勉強に全力を注げるようになれるかも知れませんが、
逆にやる気が失せるかも知れません。
その事を理解した上で読むか読まないかを決めてください。


● 教育は誰のため・・・?

資本主義社会の中で本来サービスというのは、消費者のニーズに応える様に進化し続けるモノです。教育では生徒が消費者なので、生徒の望む形に進化するはずなのですが、現状はそうはなっていません。

では、社会のニーズに応えるように出来ているのでしょうか?
生徒達は社会に出る準備のために教育を受ける訳ですから、社会のニーズに応える事が生徒のニーズともいえます。
しかしどうもそういう訳でもないようです。
では一体誰のニーズに応える様に現状の教育は作られているのでしょうか・・・?


● 教育はサービス業?それとも・・・?

誰のニーズなのかは後々話すことにして、まず「なぜ消費者のニーズに応える形になっていないのか」を説明したいと思います。

なぜ消費者のニーズに応える形になっていないのか・・・?

その答えは教育市場が市場原理にさらされていないからです。

市場原理とはアダムスミスの言った「神の見えざる手」のことです。
前にも書いたように本来資本主義の社会にあるサービスは消費者のニーズ、あるいは社会のニーズに応える形で進化してゆくモノです。

時代の変化に非常に敏感に、ときには時代の変化をリードする形でサービスは作られます。
社会のニーズによってサービスが生まれ、逆にサービスによってニーズが生まれたりもします。

教育も高校以降は生徒が学費を支払って受ける訳ですから、一つのサービスのはずですが、他のサービスとは違い、非常に変化が遅く、しかも消費者のニーズに沿った変化をしていません。
高校で習う勉強のほとんどが実社会では役に立たないモノばかりです。

大学でも実際に役に立つ学習内容はいくらもありません。
そのほとんどは大学の卒業資格を手に入れる為の儀式のように感じられます。何故なのでしょうか・・・? 
それは教育市場が市場の原理原則にさらされていないからなんです。


● 犯人は誰だ!!

ではなぜ市場原理にさらされていないのでしょうか?
それは、それまで勉強をしてきた生徒達がいよいよ社会に出るという時の企業の姿勢に原因があります。

企業は新入社員を採用する時にその生徒の学歴を参考にします。
どの学校でどんな勉強をしてきたのか?それによっては採用希望者を門前払いにする場合もあります。つまり学歴フィルター(学歴差別)です。

この仕組みは差別制度です。
実はこの差別という仕組みは、資本主義とは非常に相性が悪いモノなのです。


● 「差別の下の平等」は「反対の賛成」なのだ!?

ではなぜ相性が悪いのでしょうか?
その話をする前に「学歴差別は差別ではない」なんて主張する人が沢山いるので、
そちらを先に説明したいと思います。

「なーんだ。ただの学歴差別批判か。低学歴者の言い訳か」と思った人。
そんなくだらない内容ではありませんよ。どうか最後まで読んでください。きっと目からウロコですよ。

学歴で人を判断する事は議論するまでもなく差別です。
区別とは違います。
本来人を判断する場合、人単位で判断するべきなんです。

人単位で判断する事は区別です。
逆に人単位ではなく、その人をカテゴライズ(分類)するモノで判断することは全て差別なんです。

つまり人種、性別、出身地などで複数の人を十把一絡げに判断してしまうことは偏見であり差別なんです。そして学歴も例外ではありません。

「この学校のこの学部出身だからきっと○○だろう」という判断は偏見であり、その偏見で判断を下すことは差別なんです。

よく「学歴は後天的なモノだから差別ではない」と主張する人がいますが、後天的か先天的かは関係ありません。

但し、学歴差別は現状の社会では「合理的な根拠に基づくモノ」として認められた差別とされています。つまり民主主義の主権者である人民の多くが納得している差別というわけです。

おそらくあなたも納得されているのではないでしょうか?
それは「差別制度の下の平等」が確保されているからです。

差別の下の平等」だなんて、なんだかこんがらがりそうですが、この表現が最も的確だと思います。

私達は自分の学歴を選ぶ事が出来ます。学歴は後天的だからです。
つまり、私達は「学歴差別という差別制度の下に、平等に生まれた」といえます。まあ完全には平等ではないですが、それでもだいたい平等になってます。
だから、ほとんどの人は不満を持たないのです。
多くの人が満足しているのは「差別制度の下の平等」が実現しているからなんです。

そこの平等があるから「学歴差別は差別ではなくて区別だ」なんて勘違いする人がでてくるのです。

みんなが納得している差別だから企業が学歴差別をすることは決して悪い事ではないのです。法的にも認められています。

しかし法的に認められていようとも差別である事には変わりがありません。
この差別というモノは資本主義と相性が悪いという事実は変わらないのです。


● 水と油は、質が違うんです!!

ではなぜ相性が悪いのでしょうか・・・?

私たちの国の民主主義というのはもともと「身分制度(身分差別)という人工的な秩序を捨てて、自然の秩序(生まれながらにして平等)に社会の秩序を揃えましょう」という考え方から生まれた仕組みです。
「人工的な秩序を作るより、自然の秩序に従った方が何事もより上手くいくはず」という信念から生まれました。

資本主義も同様で「国はあまり市場に干渉せずに、市場が本来持っている原理原則(普遍的な自然の法則)に市場の秩序を任せましょう」という考え方から作られています。

つまりアダムスミスの言った「神の見えざる手」です。
個が個の利益を追求することで社会全体の望ましい状況が作られる。
そのことをアダムスミスは「神の見えざる手」の仕業と例えました。

民主主義と資本主義は相性がいいです。
それはどちらも自然の秩序に沿った考え方だからです。
民主主義と資本主義はどちらも自然な秩序にそろっているので、両方とも上手く機能します。

しかし差別というモノは人工的な秩序です。
つまり自然の秩序の資本主義と、人工的な学歴差別という差別制度は、全く質が違うモノなのです。だからうまく歯車が噛み合わないのです。
多くの矛盾を生み出すことになります。


● 学歴社会の何が悪い?!

「学歴社会のどこに矛盾があるって言うんだ!!」って怒りの声が聞こえてきそうですが、まあ聞いてください。怒りを感じる人も最後まで読んで頂ければきっと納得して頂けると思います。

多くの人は現状の社会に充分満足している様に見えます。
特に大きな矛盾なんて感じないという人がほとんどだろうと思います。
それどころか「この学歴社会がいかに合理的に出来ていて、いかに整合性がとれている仕組みなのか」を、声高に語っているようなブログを良く見かけます。
実際この社会は上手く出来ていると思います。私も特に不満はありません。

しいて言えば冒頭に書きましたように、
高校以降の勉強内容に疑問を感じているくらいです。

どんな矛盾を生み出しているのかに関しては、現状の社会の何処に矛盾があるのかを説明するよりも

「もし学歴差別がなくなったら・・・」
を説明した方がよりわかりやすいと思います。


● 学歴差別がなくなる最大のメリットとは?!

もし学歴差別がなくなったらどんな事が起こるのでしょうか?
メリット、デメリット、色々な変化が予想できますが、
ここでは最大のメリットについて書こうと思います。
学歴差別がなくなることで得られる最大のメリットとは何か・・・?
意外だと思われるかも知れませんが、それは
「教育の質の向上」です。

現状の学校(大学)は
学歴差別が存在している現在の大学の授業は完全に学校側が主導権を握っています。
それは卒業資格を与えるか否かを決めるのは学校側だからです。
そして生徒はその卒業資格が欲しい。

大学の現状
少なくとも私が行った大学の授業は本当にひどいモノでした。
教師は黒板に向かって独り言のように喋り続け、
矢継ぎ早に汚い文字を書き殴ってゆきます。
それを生徒達はもくもくとノートに書き移そうとするのですが、
書き終わる前に教師はさっさと消してしまいます。
そして又独り言を喋りながら書き続けます。それが一時間半続いて授業は終わり。
そしてテストで点数が悪いと赤点をつけられてしまいます。
「点数が悪いのは、お前の教え方が悪いからだろう!!」とツッコミたくなりますが、そんな主張が通るわけがありません。主導権は完全に学校側が握っているのです。

生徒の現状
では、生徒は一方的に被害者なのかというとそういうわけではありません。
生徒は卒業資格が欲しいのです。そしてそのためには単位が必用です。
だから受けたくもない授業を履修します。
本当のところ生徒は勉強なんてしたくないのです。
全員がそうだと言うと語弊がありますが、少なくとも私の同級生のほとんどがそうでした。
だから出来るだけ楽して単位を手に入れようとします。
例えば比較的簡単に単位をくれる先生の授業はどれかを、
先輩に教えてもらってそれを履修します。
ちょっと悪いと、友達に代返を頼んで授業をさぼったりします
もっと悪いとテストの時にカンニングしたりもします

こんなんでいいの?
教師も負けてはいません。
そうした不正を許すまいと、常に神経をとがらせています。
つまり教師と生徒のイタチごっこが繰り返されているというわけです。
質の低い授業を提供する学校と学ぶ意欲の低い生徒が単位を巡って争っているような、
いかにも馬鹿げた授業という名の茶番劇に、
大変な額の授業料を生徒の親が払わされているというわけです。
こんなんで本当にいいのでしょうか?

もし学歴差別が無くなったら?
では学歴差別がなくなったらどうなるのでしょうか・・・?
その参考になる学校が、現在も存在しています。
それは予備校や英会話学校、パソコン学校といった学歴にならない学校です。

生徒はどうなる?
例えば英会話学校に通う生徒は何が望みで授業料を払ってまで通うのでしょうか?
学歴欲しさで無いことだけは確かです。
では何か・・・?
それは実力を身につけることが出来ると思われる質の高い授業に授業料を払うのです。
学歴にならない学校では、友達に代返を頼んで授業をさぼるやつなんていません。
いるわけがありません。
何故ならそれは授業料をただドブに捨てるようなモノだからです。
もちろんカンニングなんてあり得ません。
つまり不正は一切生まれないというわけです。
と言うより不正する意味が無くなるのです。
生徒たちは授業料を払った分。いや、それ以上に実力を身につけようという姿勢で授業に臨むことになります。
学歴差別がなくなると、そういう勉強熱心な生徒だけになるということです。

学校はどうなる?
では学校はどうなるのでしょうか?
学歴差別がある場合、黙っていても生徒は学歴欲しさに集まってきます。
授業の質が低くても、生徒の親は多額の授業料を払ってくれるでしょう。
しかし、学歴が無意味なモノになったらそうはいきません。
今までのような「学校が主導権を握った授業」では生徒は集まりません。
「生徒の学ぶ意欲にしっかりと応えることが出来る質の高い授業」を提供しなければ生徒は集まりません。
つまり教育の質は必然的に向上するというわけです。

学歴差別が無くなったらこんなに健全に!!
学校は質の高い授業を提供し、
それを求めて学ぶ意欲を持った生徒たちが集まります。
両者ががっちりかみ合った中身の濃い授業が実現し、
その授業に生徒の親が授業料を払います。
なんて健全なことでしょう。

いかがでしょう。
つまり生徒は「学歴は欲しいけど、勉強はしたくない」であったり、
学校は「お金をもらって授業を提供する立場だけど、生徒に評価を下す立場でもある」であったりと、現状には矛盾があるのです。

それが学歴差別がなくなると、学校は完全にサービス業になり、生徒はその消費者になるのです。矛盾が完全になくなります。秩序がスッキリとシンプルになることがわかります。より健全な形に教育環境が変わるといえます。


● 塾の先生の方が教え方が上手な理由とは?!

つまり学歴差別が無くなるということは、今まで学歴差別によって守られていた教育市場が、完全に市場に開放されるということを意味します。

市場に解放されると市場原理に基づいて淘汰が起きます
消費者である生徒のニーズ、あるいは社会のニーズに応える事が出来る教育だけが生き残り、ニーズに応えられない教育は淘汰されてゆくというわけです。

そうなったら、
「この勉強、実社会で役に立つの?」「テスト以外に役に立たないんじゃないの?」なんて疑問を感じることも無くなります

なぜならば生徒が求める、あるいは社会が求める勉強しか生き残らないからです。

更にニーズがある分野の教育は確実にそのニーズに応えるべく進化してゆく事になります。

例えば、学校の授業より「塾や予備校の授業の方が、ずっと分かりやすい」と感じたことはありませんか?
それは塾や予備校が市場原理にさらされているのに対して、学歴になる学校は市場原理にさらされていないからなんです。

つまり、市場原理にさらされれば他のサービスと同様に飛躍的にサービス(教育)の質は向上するに違いないということです。

それはとてもすばらしいことの様に、私には思えます。


● デメリットもいっぱい!!

では「学歴差別なんて無くしてしまえばいい」と言えるかというと、
そう簡単ではありません。

もちろん皆さんもご存知だとは思いますが、学歴差別があることから生まれているメリットもいっぱいあるからです。

学歴差別があることから生まれる最大のメリットは、なんといっても企業の採用活動にかける負担の大幅な軽減です。

採用活動には大変な手間と時間と多額の費用がかかるのです。

現在もソニーが学歴を考慮しない採用活動をしていることは有名ですが、
それはソニーが大企業だから出来るのだと思います。

ソニーと同じ採用活動を他の企業が果たして出来るでしょうか?
日本の多くの企業は中小企業です。
中小企業ではとてもソニーの真似事は出来ないでしょう。

また教育の特性を考えると、
生徒や社会のニーズが無い、あるいはニーズの少ない分野の教育が市場原理にさらされる事で淘汰されてしまうということが果たして良い事なのか疑問に感じます。
ニーズが少なくても残すべき教育というモノもあるはずです。

それに学校の教育というのは、なにも学力向上だけが目的ではありません。
人間としてトータルに成熟させることを目指しているはずです。

人間としてまだ未熟な生徒のニーズに応える教育では、そこらへんはどうなってしまうのでしょうか?・・・後半に続きます。


こんな結論では終わりません。
「驚愕の真実」を知りたい人は次のページも読んでください。