二度目の緊急事態宣言も、皆第一次のような緊張感はなく、
緩みっぱなしの感じ。それならと「越県」になるが「水戸街道」を
歩き始めた。
水戸街道は江戸から水戸徳川家へ通じるため、五街道並み
の扱いだったようだ。日本橋から千住宿までは日光街道を
通り、千住宿から水戸までの116キロ、ちょうど二十宿の街道
である。
一応はコロナ下でもあり、賑わう北千住の街を避け、荒川の
対岸、小菅から歩き始める。昭和始めの荒川の改修で、千住宿
から小菅間の水戸街道はほぼ消滅していることもある。
東武スカイツリー線(伊勢崎線)の小菅を下りて荒川の土手下
を南下した小菅一丁目の次の交差点をスタート地点とする。
荒川の土手に上がって対岸、北千住を眺める。一人座って
河川敷の少年野球を眺めるのは選手のママかも。そろそろ昼時、
白いバッグには弁当が入っているのだろう。
以前、荒川を源流まで遡った時、綾瀬川を下った時、都合2回
ここに「来ているが、当時と違うのは左端に「東京スカイツリー」
建つことである。
東武線の鉄橋の少し下流(左手)あたりが千住宿を出た水戸
街道があったところだろう。
土手の反対側、綾瀬川に向かうこの道が旧水戸街道。小菅JC
を出た首都高6号(三郷)線が綾瀬川の上を走る。いよいよ水戸
街道のスタートだが、ちょっと野暮用が出来たので続きは次回。




