じんべえ時悠帖Ⅱ

じんべえ時悠帖Ⅱ

花鳥風月と酒をこよなく愛し、時悠気ままにウォーキングを楽しむ昔エンジニア

Amebaでブログを始めよう!

 二度目の緊急事態宣言も、皆第一次のような緊張感はなく、

緩みっぱなしの感じ。それならと「越県」になるが「水戸街道」を

歩き始めた。

 水戸街道は江戸から水戸徳川家へ通じるため、五街道並み

の扱いだったようだ。日本橋から千住宿までは日光街道を

通り、千住宿から水戸までの116キロ、ちょうど二十宿の街道

である。

 一応はコロナ下でもあり、賑わう北千住の街を避け、荒川の

対岸、小菅から歩き始める。昭和始めの荒川の改修で、千住宿

から小菅間の水戸街道はほぼ消滅していることもある。

 東武スカイツリー線(伊勢崎線)の小菅を下りて荒川の土手下

を南下した小菅一丁目の次の交差点をスタート地点とする。

 荒川の土手に上がって対岸、北千住を眺める。一人座って

河川敷の少年野球を眺めるのは選手のママかも。そろそろ昼時、

白いバッグには弁当が入っているのだろう。

 以前、荒川を源流まで遡った時、綾瀬川を下った時、都合2回

ここに「来ているが、当時と違うのは左端に「東京スカイツリー」

建つことである。

 東武線の鉄橋の少し下流(左手)あたりが千住宿を出た水戸

街道があったところだろう。

 土手の反対側、綾瀬川に向かうこの道が旧水戸街道。小菅JC

を出た首都高6号(三郷)線が綾瀬川の上を走る。いよいよ水戸

街道のスタートだが、ちょっと野暮用が出来たので続きは次回。