このブログは・・・
父を大腸がんで亡くした四女のモコのブログです。
まとめますと・・・
2006年9月に大腸がんが見つかった父・次郎。病気が発覚した頃は疲れやすいという自覚症状はあったものの見た目では「病気」とは思えないほど変わりがなかったのです。すでに発見時には肝臓に転移(それも大きく)がありました
大腸がんの場合 (手術後の5年生存率を括弧内に記載)
デュークス分類
| デュークス A (95%): | がんが大腸壁内にとどまるもの | |
| デュークス B (80%): | がんが大腸壁を貫くがリンパ節転移のないもの | |
| デュークス C (70%): | リンパ節転移のあるもの | |
| デュークス D (10%): | 腹膜、肝、肺などへの遠隔転移のあるもの |
母からメールで聞いたのですが「癌」の文字がなんだかどう理解してよいものか分からず困りました。変な表現ですが「ついにきたか」という感じでしょうか。その前の日までは他所の事だと思っていた「癌」が父の体を蝕んでいたなんて・・・。で、肝臓へ転移のあるものについて調べた私は上のような辛辣な情報を目にした訳です。手術しても5年生きる人が10人に1人って事ですよね。最悪5年後にはもう父がいないということもあるということ・・・が その後 父は手術も受けずに病気のスピードにに負けてしまう事なんて思いもしませんでした。なるべく長く生きてほしい。と思いましたがかなわない願いでした。
父は何かと仕切り屋で幹事だとか長だとか上に立つことの多い人でした。たまたま病気が分かった1ヶ月後に 父が幹事の同窓会がありました。日に日に体調が悪くなっていたのですが 穴をあけるわけにもいかないので
無理を覚悟して故郷へ旅をしたのでした。旅先で何かあったら・・・と心配で何か・・・の場合には姉夫婦が旅立とうとかいろいろと水面下で話はしていました。父も少し不安はあったらしくなにかあった時の為の「紹介状(というか病状をかいてもらった)」をお守り代わりに 結果的には最後の里帰りにはなってしまったのですが無理をしてでも行ってきてくれて良かったな・・・と思ってます。無事に帰ってくることはできたのですが とっても疲れて帰ってきましたね。旅行中おしりの具合も良くなくてトイレを探すのに苦労したらしいです・・・
「旅行に行ったらトイレなかすぐに連れて行ってあげると(笑)」
なんて笑っていたんですけどね・・・^^
里帰りも終わった10月の終わりからいよいよ(今頃?)治療が始まったのですが・・・ここで一つ疑問な事。初めの診断で「末期」に近い病状であったのに治療開始がこんなにも遅れたのはなぜなのでしょうか?父が同窓会が終わったころにして欲しいと言ったのか、それとも先生の判断だったのか・・・?今となっては父にも主治医にも聞けないので真実は分からないのです。
治療は経口の抗がん剤と放射線治療。治療の経過を見たいという主治医の判断で一週間ほどの入院をしました。この頃は大腸の状態が一番悪くしょっちゅうトイレに立っていましたからね。部屋からトイレに行くのにナースセンターを通るらしくて「次郎さん、トイレに近い部屋にしましょうか?」って言われたらしいです。治療に問題がないことがわかり 退院は出来たのですが・・・やはり抗がん剤の副作用で倦怠感・食欲不振などでつらい日々を過ごすことになってしまいました。それに加えて平日20日間連続の放射線治療の為の通院は気力・体力ともに厳しかったみたいです。いつもは泣き言など言わない父が「あと2回ぐらい もういいですよ とか言ってくれないかな~」って言いましたもん。放射線治療の通院には私も協力して送り迎えをしました。「慣れたら一人で行くよ^^」ってはじめは言っていたのに言い出さなかったのです。よほど辛かったんでしょうね・・・
初めの主治医の治療方針では
抗がん剤と放射線の治療後 一ヶ月間抗がん剤はお休みして翌年に
手術という話だったらしいです。
が、28日間の抗がん剤が終わったあと一か月の休みなく追加された抗がん剤・・・やっと終わったのに・・・という感じだったのでしょうね。すぐに飲み始めることができなかった父・・・その気持ちは痛いほどわかる周囲・・・でも飲むように勧める・・・なんだか辛かったですね・・・
その抗がん剤を飲み始めてしばらくすると 父の体に色々と辛い異変が起きてきました。
発熱・・・眠れないほどの頭痛・・・そして顔面まひ・・・
これも最後までは原因は分からないままでした。解剖でもすればわかったと思いますが分ったところで何かになるのか・・・?発熱が起こってからは 内科にかかったり耳鼻科にかかったり 受診していたのが総合病院で良かったと思った時でした。色々と診てもらった結果この時点では「ヘルペスで顔面まひと頭痛が起きている」という事になりました。ヘルペスの治療というのも 選択肢があって
1.入院して治療
2.通院(8日間連続)して点滴で治療
3.効き目は薄いが在宅のまま経口の薬で治療
上から順に効果があるということでした。
早く治ったほうが・・・という思いから「入院」という選択をしかけたのですが耳鼻科の先生のアドバイスがあり2の点滴に変えたのでした。この耳鼻科の先生のお言葉には「人間らしい優しさと本当のこと」が含まれていて正直ドキッとさせられたのです・・・内容は
「入院の選択が一番効果があると思いますが 年末年始、ご家族とゆっくりと過ごされるのもおおと思いますよ。可能でしたら通院が大変ですが点滴での治療にするのがよいと思います」
ということでした。この話 父と姉と私と3人で聞いていました。父はくるりと私たちの方を向き「大丈夫だよな!」って点滴で治療をするということに決めた瞬間でした(笑)なぜ笑ったのか?なんだかスッカリ頼ってもらえて嬉しかったんですよ。
でもこの話聞いて・・・
「?最後のお正月になるかもしれないって事?」ってこの時思いました。普通病院の先生だったらあの時の父の様子を見ていれば入院を進めるんじゃないかなって思う感じだったんですよね。それなのに・・・ね。
年末年始またいで父の通院があったのですが姉たちと手分けして父の通院には誰かしらが付き添っていました。もうこの頃は一人で行くとは言わなかったですよ。お店の仕事もかなり姉に手伝ってもらっていたしね。
ヘルペスの通院が終わって一週間後に入院の予定になっていました。人工肛門にするための手術が予定されていたんです。色々と調べてわかったのですが父の場合の手術は治療のためではなく「延命」のため。
腸閉そくって怖いらしいですね。破裂とか起こしちゃえば命も落とすとか・・・それを回避するための出口を作るためだけの手術だったみたいです。私達家族はてっきり「癌」そのものを取るための手術と勘違いしていましたから・・・だって、大腸の癌をうまく取り除けたとしても肝臓に転移している癌もあることですから。
実はこの数年前に母の兄が同じ大腸がんで命を落としました。
伯父の場合 治るために入った手術室・・・
原因はわかりませんが出血が多くなってしまい18ℓの輸血をしたそうです。
その結果帰らぬ人に・・・
こんなこともあったので 手術=良くなる とも思っていなかたんでしょうね。父は手術を拒んでいましたから。1月12日が手術、事前に9日に入院でした。9日に手術について主治医から家族に話があるとの事で集まったのですが。
おもったよりも大腸にあてた放射線の治療の効果があったことと顔面のマヒがひどくこのまま大腸の手術をしても苦しみを余計に与えるだけになる。
という判断になったということで手術は延期(?)というか中止になり ヘルペスの治療に専念することになったのです。「手術しませんから 退院してもよいですよ」と言われたのですが何しろ顔面のマヒで食事ができないんです。味も分からなく口のはじからこぼれおちてしまったりだとかで。その為 体力がつくまでの間とりあえず入院をすることに落ち着いたのですが・・・体力は落ちるばかり食欲も低下する一方 何一つ良くなるものはありませんでした。
今思うと退院して家でわがまま放題に過ごさせてあげたかったな・・・なんて思うのですが あの時に退院していたら最後にお世話になったその病院に提携していたホスピスには入れなかったのかなぁ・・・と考えると入院してて正解だったのかな・・・とか答えの出ない謎が沢山私の心の中に渦巻いているのです・・・。治療の為にと思って覚悟をきめて手術をして終わったら元気にとまでは行かなくても それから・・・と考えていただろう父・・・最後に何もできなくて心の残りだろうと思います。
まだまだコレから!って事もあったよね。最後に色々と整理したかったよね。
みんなに色々と伝えたかったでしょ。やり残したことあったでしょ。
でもね、姉妹みんなで言っているんだけど最後に色々とやらせてもらえて
すごく勉強になったよ。変な言い方だけど普通ではできない体験させてもらった。
父からしたら望んでないよ!って言うかもしれないけどさ。
なんていうの 無駄になってないよって事が言いたい。ってか言ってるけどね^^
なんだかお互いにちょっと照れ臭いことも多かったけどね。
少しでも力になれて良かったと 自分で思うようにしてるんだけど
力になれてたよね?
一生懸命に体を動かそうとしていたよね。
部屋の中にトイレがあってもベットの反対から下りたりね。
たぶん読んでなかったと思うけど頑張って新聞読もうとしていたよね。
「お粥ぐらい食べないと死んじゃうからな^^」って言ってむせながらお粥食べてたよね。
「俺 トマトは好きだからね」ってたぶん味分からないのに食べてたよね^^
「クリーム系は好きだからね^^」って言ってたよね。
食欲ないって言ってたから少しだけよそったら喜んでくれたよね。
「モコ家の味が今はちょうどいいな^^」って言ってくれたよね。
やわらかく煮た大根「噛んで食べられた!」って喜んでくれてたよね^^すごくうれしかった♪
でも点滴は嫌いだったよね^^;すごく困ったよ^^;
変なところまじめで薬は飲まなくちゃって思ってたよね^^;
私の言うことは聞いてくれて ちょっと鼻を高くさせてくれてありがとう^^
辛い経験だけど 経験したことない人にはわからない気持ちを知ることができた。
これって私の宝だと思うよ。
辛いだけで終わりにしないからね。無駄にしないからね。
だから どこかでみんなのこと見ててね・・・