あの娘が逝ってしまって2か月ほど経つ頃、あの娘が最後に観た映画を観に行った。
誰もが知る大ヒットアニメの映画。
私は一度も観た事がなくストーリーや背景も知らない。
ストーリーも分からないまま、ただただ、あの娘はこの映画を観て何を想っていたんだろうと考え出したら序盤から終始涙が止まらなかった。そして最後に大切な人が去り逝き、葬いの様な歌が流れるエンドロールと共に泣き崩れただけだった。

それからまた食欲も無くなり、喪失感が増したまま2日後くらいに私の気持ちも限界になりかけ、仕事にも向かえずに休み、私も消えてしまいたいと家族のLINEに送ったりして一日中寝込んでいた。

そのまま夕方頃、『あ〜寒い〜!』と言う声と共に冷やりとする感じ、あの娘が布団にもぐり込んで来る姿がはっきりと見えた。
学校か、何処かへ行ってたのか、帰ってきて布団に入って来た。
そして戯けた顔で『ママがお菓子いっぱい食べちゃうからすぐ無くなっちゃうって、ババがブツブツ行ってたからお菓子買って来たよ〜』
と言われたところで私は目が覚めた。
勿論、あの娘もいないし何の変化もない。
ただ、私を回復させる為に現れたのだと思った。
すぐに起きてお線香をあげた。
冷やりとした感覚は最期に触れた冷え切ったあの娘の身体の冷たさと同じ感覚だった。

あの娘が逝ってしまってから毎日、夢でもいいから会いたいとどんなに思っても全く出て来なかったのに、あの日に限って現れ、はっきりとあの娘の顔が見えた。
私の側に居て私を見ているんだと思えたら少し気持ちを持ち直せた。
こんな事って本当にあるんだと思う不思議な体験だった。
あの日からはまだ現れていない。

#子どもに先立たれた #不思議な体験 #遺された #遺族
#最愛の人 #別れ #生きる意味

夏も終わりかけ涼しくなり始めたあの日

二人で時折行く洋服屋さんで

『一目惚れしたから』って、夏物のシャツ2枚

『もう涼しくなるのに』って言ったら

『来年着るから』って

 

お洒落に目覚めていつの間にかいっぱいになった化粧品や洋服

どれも切ない道具でしかなくなった

身体を失くしたら何の意味もないじゃない

どんどん離れて行ってしまいそうで何一つとして捨てられない

 

『ナカヨシコヨシ ズットイッショ』

あの娘が書いた二人で撮ったプリクラ

あの日に戻れるならもう何も要らない

戻りたい 戻れない

空っぽになった心のまま時間だけが過ぎて行く

 

・・・

タグの付いたままの夏物のシャツ2枚

『一目惚れしたの、来年着るから』

そのタグを切る夏はもう訪れない

 

心と身体がバラバラになって

機械の様に与えられたミッションをやり遂げるだけの毎日

全身の細胞が破壊していく感覚だけが残された現実

何の因果だろうか
11/24の投稿から24時間も経たない間に最愛の人が逝ってしまった
予知投稿になってしまった
哀しいとか寂しいとか、そんな言葉で表せない
現実に生きている気がしない
刻が止まってしまった

人はいつかは息絶え行く
ならば今でも…

そんな葛藤に苛まれながら今日もミッションを遂げるのみ

子供、家族、恋人etc…
大切な人のために、大切な人と幸せに暮らすために腑に落ちない仕事もクリアして次のステージへ進んで行く

たくさんの事が変わった現在
未来を描く事をどれほどの人が出来ているのだろう

生きて行く意味が分からない
なんて、大切な人に言われたら
私は何のために社会の葛藤に立ち向かえばいいのだろうか

危険因子と隣合わせで今日も何とか生きている