何杯めかの酒が入るまでは
街が私によそよそしいように
私の胃袋が黙りこむまでは
私の心は小雀だ
今日することは私の人生の総計に対して
常にマイナス
石垣の花をなにげなく摘むことも
宇宙に対しては常にマイナス
大きな円弧を描いて慈しみたいが
中心がわからない
何杯めかの酒が入るまでは
街が私によそよそしいように
私の胃袋が黙りこむまでは
私の心は小雀だ
今日することは私の人生の総計に対して
常にマイナス
石垣の花をなにげなく摘むことも
宇宙に対しては常にマイナス
大きな円弧を描いて慈しみたいが
中心がわからない
私の空に星がひとつ光っている
芝生を踏んで
一匹のやさしい怪獣が通りすぎてゆく
もし選べるものなら
白痴と狂気のどちらになったものか
こんな夜に
昼の原っぱのまん中に穿たれた
井戸の底の夜
一瞬の冷気と眩暈の奥から
ひとかけらの窓が浮かび上がってきて
とりもなおさず
それが私の唯一の窓なのだ
はるかな怨念をこめて
私の股間のしなやかなけものと
私の井戸の底のせつない窓
とを結んで
一本の花のない樹が立っている
世界のおわりまで
魁けてゆく者の耳に
笛を吹くな
あとに従いてゆく者にも
歌ってやるな
逃げのびた男たちが群がる狭い路地では
めくらの真似をして通りぬけろ
黒々とした土
土手をかぎる青空
雑草の一本二本が生えそめる朝
に出あったら
そのとき初めて歌いだすがいい
あるいは
袖すり合う者らの誰ひとりとしておまえをふり返らず
吐く息のどれひとつとしておまえの頬に届かない
そんな冬の夜がもしあったら
そのときこそおまえは
鬱々と吹いてやるがよい
嘘の歌
真実の歌
眼の奥をくすぐる
嘆きの歌を
嘆きの夜の海は吠え
歯がゆいあんたが海を渡る
海のどこかにいつでも太陽がいるように
海のどこかにいつでも魚が滑っているように
嘆きや希望がいつでもたゆたっている場所がある
たとえば ほら
土手にかぎられた土筆の青空や
少年が消えて行ったトルコの町
誰もかもが他人だと思ったときに
きみの胸にいた一人の女
彼女が笑いながら手を洗ったときの蛇口のきらめき
明日からはまったく生活を変えようと思いながら
きみがくるまって寝た冬のふとん
それらの一瞬を射るものが
いつも暗いどこか
喉や涙腺や
ゆらめく神経の先端
そういった なつかしい器官の背後で
笛を持つきみを狙っているではないか
喉をおしひろげるきみの時をまっているではないか
走りぬける軋みが聞こえるようだ
やわらかいくちびるは何のため
手足に刺立ち
くらがりで
人は口笛をふいたりする
唇に苔むし
眼ばかりがひどく熱い
くらがりで
彼らはキスしたりしているが
それとも
走っているのは世界の方なのだろうか
冬の白い息の情熱が
ふいに自分の激しさに気づく
手足を冒す象皮病
くらがりは生き物で満ちており
海はほのかに明るく 水を欲しがっている
どうして思いいたらなかったのだろう
波はいつでもこちらに押しよせてくるというのに
なぜ眼は対岸にしか見開いていなかったのだろう
彼らはいつでもそこにいたであろうに
走りぬけてきた軋みが
まだ打ちつづいて いて
ああ もう遅い
もうこんなに遠く走りすぎてしまった
くらがりは こんなに熱く息づいているというのに
たくさんの武器をもって
おまえ
たくさんの言葉で身をまもって
そのなかで裸でふるえている
おまえ
この世はおまえには似合わない
おまえの眼には裸の恐怖が
おまえの歩きかたには
この世の土を踏んだことのないような弱さが
おまえの胸には
もはや息をついておれないような繊細さが
やどっている
おまえはこの世に似合わない
のに
おまえのからだは ここにしかなく
おまえのいのちは ここでしか咲かない
から
おまえはこの世の人のなかを探してあるく
何をさがしてあるくのか
たくさんの武器をもって
誰をもとめて苦しむのか
たくさんの言葉で塀をたてて
美しい円弧を描いて飛んでゆく
おまえ
だが おまえの探索は無駄だろう
おまえの渇きは癒えないであろう
なぜなら おまえはついに
武器を手放すことがないであろうし
武器のないおまえはこの世のものではないからだ
おまえのいのちは ここでしか咲かない
から
おまえはこの世の人のなかを探してあるく
何をさがしてあるくのか
たくさんの武器をもって
誰をもとめて苦しむのか
雨が降るなら
黒めがねをかけましょう
雨はいつでも降っているのだから
心の傾斜でスベリ台をして遊んでいると
とっても寒くなるのです どこまでも
どこまでも 落ちてゆくので
もし落ちる人にも希望があるのなら
その人はしっかと眼をひらいていなければなりません
もし 希望にも 絶望がついてまわるのなら
その人はメガネを外しておかなければなりません
だいいいち 落ちる人にメガネは危険だし
希望は絶望の影なのだとしたら
メガネの陰で泣いたりしてはいけないのですから
もしかりに泣くことがあったとしても
涙は雨で流さなければなりません
なぜなら 雨はいつでもあたたかいし
いつでも降っているのですから
自由を欲しがる顔の裏側に
新緑の退屈が貼りついている
ああ世の中はなんと完全無比に丸いのだろう
退屈の羅紗をころがる無垢の撞球
喉にこみあげてくる言葉もすべすべと丸く
涙や苦しみですら丸くて美しい
靴下をうらがえして
足の臭いをかぎながら
愛を想ってみても
生活を裏がえすことはできない
街をあるくと碁石のようにすべすねべと平たい言葉が
雪のように降りつもっている
饒舌を欲して黙りこんだ男の喉に
言葉が白く化石して
水スマシのように眠気が襲ってくる
星はどんなふうに並んでいるのか
知らない
花は何を苦しんでいるのか
知らない
たったひとりの女のために
言葉をささげ
歌を編んで
すると
星も花も正義も時も
喪わなければならない
のか 男の喉は
あわく怒気をふくんで
咳ばらいする
街路はこごえて
星のかわりの水銀灯
風を運ぶ肉体を
載せてゆく
激しい電車
好色漢の
ねり歯ミガキの息づかい
颯爽たる世界の陽の出に
わからないのか
うっすらと血がにじんでいる
鋼鉄の車体に
ビルの壁面に
あらゆる色の血痕
街が重装備するにつれて
鬱々のあでやかさ
女はますます軽装備になってゆく
憂鬱なんてゼイタクだ
好色漢はバネ仕掛けのごとく
車を駆る
心臓にカビが生えるほど憂鬱だ。朱色の雨でも降ればいい。そし
たら、泣きたくなるほど緑色の柳の下に立って、待ってやろう。何
を待つのか知らないが、蝉が樹液を吸いにくるような柔らかいいつ
くしみがある。
いやなら、ひとみを凝らして眼をつぶってみよう。一年でも十年
でも、そうしていて構わない。だが闇に踊るのは万華鏡で、この世
で得たものはこれだけでしかない。眼の裏側にとぎれとぎれの苦し
みがたまって、この傷が癒えるのも深まるのも ともに怖い。緑色
にせつなく、せつなく怖い。怖れにせまられて眼を開けば、鈍重な
刃物が空を飛んでゆく。飛ぶ刃物は馬鹿だが、錆びつく刃物も愚か
だ。顔伏せて、しかたなく地を這っていると、時として自分がミミズ
になったように思えてきて、そういうときが いちばん しあわせだ。