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ティルダ・スウィントンやっぱやばい。

正直この一言で終わらせてしまってもいいのだが、それでは読者に怒られそうなのでもう少し。

殺人の追憶など、僕の大好きな(知らねえよ)ポンジュノ監督のNetFlixオリジナル映画。

簡単に言うと、笑えたし、泣けたし、面白かった。

 

 

ここからは読者はもう見終わっているということを前提に話を進めていく。

 

 

最後まで見終わったときに最初に頭に浮かんだのはよくわかんない!!!だった。

この映画にはアメリカ嫌いなポンジュノ監督の強烈な皮肉や風刺があるため、

最初オクジャはそんな大量生産大量消費的な社会を描く上での何かの象徴だと思っていた。

 

 

それが何なのかわからない、説明されないまま映画が終わってしまったためぽかーん( ゚д゚)となった。ALFもウォーキングデッドのグレン役の人をぼこぼこにしたあたりから悪者になるのかなあと思っていたらいい人たちのまま終わってしまったり、ラストシーンも意味が分からなかったり色んな意味で裏切られまくりだった。

 

 

ポンジュノ監督はこの映画で何を伝えたかったのだろう.....と頭が混乱したまま少し時間をおいて2回目の鑑賞中にあることに気が付いた。オクジャは途中肉のサンプルを採取されて、体の側面に5つの傷がついていた。それはミジャとの再会シーンであるパレードの場面でも見られていた。

 

 

が、映画の終盤ミジャがオクジャを金の豚で買い取り、オクジャと抱擁するシーンをよく見てみるとその傷がついていないのだ。これはミスなんかじゃなくて、何か意味がある.....。

 

あれ、これ最後助けたのってオクジャじゃないじゃん!

 

これはあくまで僕の意見なのだが、最後助けたのってオクジャじゃない別のスーパーピッグなのだ。

そう考えると意味が分からなかったラストシーンもなんとか考えることができる。

劇中あれだけオクジャヤーって名前を呼んだりなでなでしているのに、ラストシーンでは折角戻ってきた平穏な生活の中で一度も名前も呼んであげない、触れもしない。

 

 

それって、オクジャじゃないからだ!

 

どこかで見たポンジュノ監督とミジャ役のアンソヨンのインタビュー記事で、監督が肉食をすべて否定しているわけではなく、人間が昔から行ってきた自然な形態の肉食がいい(うろ覚え)みたいなことを言っていた。さらに、この映画を作るうえで参考にした映画で、「ブタのいた教室」をあげていた。

 

 

監督はその映画の中で印象に残っているセリフが、「家畜とは、ただ食べるだけではなく、その命を受け継いでいくことなんだ!」(うろ覚え)で、これはオクジャの中でも使いたいくらいいいセリフだ、とも言っていた。

 

 

ということを踏まえると、この映画の見方が180度変わってくる。

 

 

直接的な表現はないがオクジャは最後お肉にされてしまったのであろう。そのうえでミジャは別のスーパーピッグを買い取り、(後に子供のスーパーピッグも一緒に連れて帰り)自然な形態での肉食として、オクジャの命を受け継いでいったのではないだろうか。

 

 

ラストシーンスーパーピッグのすぐ横で遠くを見つめるミジャはオクジャを思い出しているんだろう少し悲しく切ないシーンだったのだと思う。いろんなことを考えさせられるいい映画だった。面白かった。

 

長文だし乱文だし前置き長いし読みにくいけど勘弁してください

よければ僕、私はこう思うみたいな感想をコメントしてくださるととてもありがたいです。

ここまで読んでくださってありがとうございました。