娘が2、3歳くらいの頃はほとんど言われなかったのに、最近、地元の道を歩けば、クソガキどもに
「シノウィーヤ(中国人)、シノウィーヤ、 %$&%6%&?"#$¥(←中国語のマネ)」
と言われるようになりました。
モロッコでは、ほぼ
シノウィーヤ=アジア人
という意味で、
「シノウィーヤ」
と言っているだけであれば、
外国人をあまり見ない日本の土地で子どもたちが
「あ、外国人だ!」
と言っている感覚とあまり変わりません。
「シノウィーヤがいるよ」
といって興味深げに写真を撮られるのは良い気持ちはしませんが。
しかしながら、人のあとを一定距離を保ってついてきて
「シノウィーヤ(中国人)、シノウィーヤ、 %$&%6%&?"#$¥(←中国語のマネ)」
というのは、完全に馬鹿にしており、差別です。
「シノウィーヤ(中国人)、シノウィーヤ、 %$&%6%&?"#$¥(←中国語のマネ)」
と言われるたびに、”お前らのいったい何がわたしより優れていてそのような態度をとるのだ”(自分が優れているということではなく)と思うのですが、
差別というのは、あくまでも"差”について”区別する”対応であって、差別をする高尚な理由などないのだなと身を持って感じています。
おにぎり大好きな娘は、
「”シノウィーヤ”と言われるから、おにぎりは学校に持って行きたくない」
と言い始め、さらには、外を歩くのが怖いとまで言うようになってしまいました。
そうなると、わたしの方も敏感になってしまい、
「シノウィーヤ」
と聞こえると構えてしまうようになりました。
先日も
「シノウィーヤ、シノウィーヤ」
という声が聞こえ、ちょうど夫と電話で話していたときだったので、
「ほら、また馬鹿にして”シノウィーヤ””シノウィーヤ”と言っている」
とテレビ電話で状況を説明したところ、車で20分ほどの距離にいる夫が
「ちょっと待ってて、今行くから」
と言って電話をきってしまいました。
それから5〜6分くらい?(速すぎ)
夫らしきどなり声が聞こえ始め…。
「シノウィーヤ」と言った子どもたちを叱り飛ばし、さらには、周りにいた大人にも
「なんで注意しないんだ!」
と怒りまくり。
結果、子どもたちは逃げ去り、周りの大人たちに
「ごめんね、今度からは言わせないようにするからね」
と謝られました。
この子たちを叱り飛ばしても他の子がまた言うのはわかっているので、神経質になりすぎている自分を逆に反省。
モロッコ人はそれほど根に持つタイプではないので大丈夫かと思いますが、今後、道を歩いているときに子どもの集団になにかやり返されないかという、マイナス思考のわたしは、さらに心配事を増やしたのでした。