
そもそも、いい悪いの問題なのだろうか。。。。
仮に、「いい」としよう。なぜ「いい」のか?
「結婚と恋愛は別だ」なんていうありきたりの答えが返ってきそうだ。
「浮気は男の甲斐性だ」なんていう古臭いことを言う人はもういないだろう。浮気を肯定する人は、いまの時代、男女問わず存在すると思われる。
「セカンド・ラバー」なんて言葉も、女性の口からためらいもなく飛び出すようになっている。
逆に、「悪い」としよう。
「俺が悪かった」「私が馬鹿だった」「二度としません」「もうしないから」と言った言葉がすぐに頭をよぎる。
そもそも、浮気はいい悪いの問題なのだろうか? 「浮気は現代においても道徳的な問題なのか?」
善悪で語るということは、道徳的な問題だということを意味している。
浮気を道徳的な問題として語ることは、現代においても意味を持つのだろうか?
浮気は悪いと思っていながらついつい浮気してしまう人もいれば、浮気したいと思っていても浮気の機会と相手に恵まれない人もたくさんいる。
要するに、浮気はいいか悪いかと語ることと、実際に浮気をするかしないかということは一致しない。
1)浮気は悪い=なのについついしてしまった (ごめんなさい)
2)浮気は悪い=だから絶対にしない (立派ですね)
3)浮気はよい=だからする (お気楽ですね)
4)浮気はよい=なのにまったく機会が無い (なんとなく哀れ?w)
いまの時代、必ずしも人々が道徳的に行動するわけではないとすれば、道徳の言葉で浮気のよい悪いを語ったところで、浮気という行為の歯止めにはならないだろう。
問題は、機会と意思にある。
浮気をしないと決めたならば、機会を作らないこと。意思を持たないこと。
浮気をしたいと思うならば、機会を作り、意思すること。
どちらを選んだとしてもそれは自己責任だ。それだけは間違いない。