最近の自分は、「恥ずかしさ」と向き合っていて、
子どもとの関わりの中で、
昔だったら「アリ」だったけど、
今では「ナシ」になってしまったものの間で揺れてる。
例えば、
子どもを叩くのは「ナシ」
子どもの欲しいものを買ってあげないのは「ナシ」
子どもがご飯を残すのを許さないのは「ナシ」
私が子どもの頃は全部「アリ」だった。
アリからナシになって、本当にいい時代だと思う。
だけど、頭で分かってても、ついやってしまうのは、
腹落ちしてない何かがあるのかもしれない。
ふとした時に出る、「子どもを責めるような言動」
今の時代なら「ナシ」
時代感と自分の身体感覚の違いが、些細な場面で出て、
ただただ恥ずかしくなる。
でも、最近こう考えた。
私は、知恵の実を食べたばかりのアダム(もしくはイヴ)で、
やっと「これって恥ずかしいことだよね」ってことに気づいたばかりなのだとしたら。
だったら、
ちょっとだけ自分を許せる気がした。
知らなかったことを、
蛇(他人や環境)のせいにするわけでもなく、
ただただ「恥ずかしい」を感じて、
「もうやめよ」ってしていく。
そうすると、
たまに、周りの人がまだ「エデンの園の住人」であることに気づいたり、
「外の住人」がしていてくれた気遣いに出会えたりする。
私は、今、新米アダムなのだ。