処分しづらい本

 

大学時代に本を買うお金が十分になくて苦労した。先輩の家を訪ねた折、欲しかった専門書を本棚に見つけて羨望の眼差しで眺めたこともあった。現在もいまだに本に対する執着心が人一倍大きく、その頃の渇望感が心の奥底にヘドロのように堆積している。その結果、読まないような単行本や全集まで集め、たくさんの書籍を書庫いっぱいにしまい込んでいる。この状況では、たぶんこれから始まる終活でも処分に困るだろう。

友達に貸して返ってこなかった本が2冊ある。これは他の人に比べれば少ないかもしれない。一冊はフランス不条理演劇のイヨネスコ、もう一冊は某氏の経済成長論の本だ。今も、著者・書名が私の頭から離れない。イヨネスコは、資産家の息子である友人から強く貸してくれと言われたのでしぶしぶ貸した。また、後者の成長論は、別の友人が仕事で必要だったので貸したのである。私が不要であったわけではない。そのため、これについてはだいぶ経ってから、自分でとうとう耐えきれず買い直した。自分でもこの飽くなき物欲に嫌気がさすが、私の心から本に対する執着心が消えることは決してないだろう。

その演劇の本を貸した友人から何十年ぶりかに電話があった。話しの主旨は金の無心であったが、話の中で先方から問わず語りにイヨネスコの戯曲本が借りっぱなしになって今も自分のところにあると言っていた。もっとも、だから本を返すという話にはならなかった。借金申込はもちろん即座にお断りしたが、友人の家でも今だに貸した本が存在感を放ち、罪の意識を事あるごとに再認識させているらしい。それは誠に結構なことだ。




恩師の著作を若い頃から集めている。以前比較的安かった戦前出版された本も、研究者が世代交代し、専門雑誌で見直され話題になってからは急に需要が増え大変高価な貴重本となった。これらは私のコレクションのトップを飾るものであるが、私の身の周りの者はその価値が分からないだろう。たぶん十把一絡げで処分した際は古本屋が大儲けするはずである。苦労して手に入れた貴重本は、もちろん読み直しているがまだまだ研究が十分ではないし、納得していない。棚の本を見るたびに、不勉強を恥じる次第である。

だいぶ前のことであるが、有名なフォン・ノイマン、モルゲンシュタインのゲーム理論の原書を、アメリカの古書店のサイトで見つけ、比較的安価で手に入れた。ハードカバー豪華本のトビラを開いてビックリした。その数年前になくなった著名なアメリカの数学研究者の蔵書サインがあったからだ。こんな有名な先生方でも亡くなると大事な蔵書はすぐにこのような目にあうのだ。誰が売り飛ばしたのだろう。蔵書の末路は哀しい。




 

 

 

 

 

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