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時武ぼたんのボタン☆ブログ

元海上自衛官です。現在、新人小説家。売り出し中!

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ヨーソロー!! ボタン☆です。


明けましておめでとうございますクラッカー


昨年は日本推理作家協会の会員に加えていただいたり、

月刊「丸」の別冊に、元第二回天隊隊長の故・小灘利春氏の記事

を書かせていただきました。

そして、ブログを再開。

ツイッターフェイスブックも始めまして、

多くの皆さんと交流できました。

お世話になった皆さま、仲良くしてくださった皆さま、

本当にありがとうございます。


相変わらずマイペースな私ではありますが、


本年もどうかよろしくお願いいたしますアップ


画像は、今年の初詣、東郷神社です。

現役時代、艦隊でこちらに参拝し、水交会の皆様と茶話会をしました。


東郷神社といえば、もちろん、東郷平八郎。

そして、東郷平八郎といえば、ロシアのバルチック艦隊との決戦の際に掲げた

Z旗が有名ですね。(画像左の大きな四色旗です。)


皇国の興廃 この一戦にあり

各員一層奮励努力せよ


高々と掲げられたZ旗に気持ちが引き締まりました。

初詣がまだの方は、勝負の神 東郷神社でZ旗をご覧になってみてはいかがでしょうか?


「よし、やるぞビックリマーク

という気持ちになります。


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すっかり寒くなり、そろそろ風邪やらインフルエンザの季節になってきましたね。

そこで、今日はインフルエンザのお話。
まだ候補生だった頃、私は衛生係という係を担当していました。
これは、普通の学校でいうところの保健係でして、
分隊員たちの健康の維持管理が主な仕事です。

で、インフルエンザです。

自衛官だって人間ですから、風邪も引きますし、インフルエンザにも罹ります。
しかも集団生活ですから、一人罹ると、次々に伝染して大変な事態に❗️

江田島の海上自衛隊幹部候補生学校には江田島病院という
自衛隊の病院が隣接していて、インフルエンザに罹るとこの病院に強制的に「入室」させられるのですが、これは事実上、「幽閉」もしくは「監禁」でして……。
一たび入室すると、「ちょっと着替えを取りに隊舎へ」なんてことも、ままならなくなってしまいます。
(少なくとも、私が現役のときはそうでした。今はどうなのかなぁ?)

で、「入室」となった皆さんは、衛生係の私に「ちょっと、部屋のロッカーから◯◯取って来て」とか、「着替え持って来て」とか頼んで来るわけです。

これが、今でもくっきり記憶に残っているほど、大変でした!

ただでさえ、候補生生活は秒刻みのスケジュールで、要領の悪い私にとっては目の回るような忙しさ。
そこへさらに、病人の皆さんから言付かった雑用が加わり……。
あの期間に、何度、江病(江田島病院の略)と学校を往復したか知れません。

で、つくづく実感したのは、
ロッカーの整理整頓は自分のためだけにするものではない
ということ!

いつ倒れて入室するか分からないので、ロッカーは常にきれいにしておかないと、うっかり「あれ取って来て」と人に物も頼めないなあ、と。

幸い、私が頼まれた入室患者の皆さんのロッカーはきれいでしたが……。

で、何人ものインフルエンザ患者の雑用をこなした衛生係の、この私。
本当にいつ伝染し、倒れてもおかしくない状況だったのに、とうとう一度も入室することなく、無事卒業しました。

いえ、べつに特別な予防接種をしていたわけではありません。
絶対、人に見られたくないロッカーがあると、
人はここまで強くなれるのですビックリマーク


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すっかり間があいてしまいましたが、

村上芳正先生のお話しの続きを……。


三島由紀夫はあの壮絶な割腹自殺の何日か前に、

村上先生のところに挨拶に来て、


(自分の出した)手紙や写真を返してほしい


と、持ち帰ったそうです。

村上先生は、何か変だと思ったそうですが、

まさか、あんなことになるとは思わなかった、と。


結局、あの方の中には、あの方のだけの理想の軍隊が

おありになったのだと思うんですよ。


僕なんか、実際に召集されて兵隊に行ったのだから、

軍隊に興味がおありなら、僕にお訊きになれば、良い取材になったと

思うんですよ。

でも、ただの一度も訊かれたことはありません。


あの方にとって、実際の軍隊なんてどうだっていいんです。

あの方だけの、きれいで美しい、理想の軍隊があれば、

それでよかったんだと思いますよ。


三島にとって、盾の会は理想の軍隊だったのでしょう。

三島の美意識の結晶だったのかもしれません。


市ヶ谷の駐屯地で、まさかあんなに自衛隊員から罵倒されるとは

思っていなかったのではないでしょうか。

でも、自分はここで終わる、という予感はあったから、

事前に、親しかった人たちに挨拶して回ったのでは……。


それにしても、自分の出した手紙や写真を回収するなんて、

なんと徹底した美意識とプライドビックリマーク

やはり、天才ですね。

そして、そんな天才に挿絵や装丁を頼まれた村上先生もまた、

何か三島を惹きつけるものを持った天才なのでしょう。


先生の絵はただ美しいだけではなくて、少し毒があるというか、

なんというか……。

決して、温かいほんわかした絵ではないんですね。


先生のお話を伺ってから、偶然、下のポスターを見つけ、

おお、先生の絵だビックリマーク

と反応してしまいました。


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