24h営業中止や時間短縮一転、9割超で営業時間拡大 マックスバリュ
2019/12/19 19:48 (JST)
©株式会社神戸新聞社

 

こういう記事が出ていた。


コンビニ

スーパー

ファミレス

時間短縮しろ!の声に

身勝手な・・・

 

と思う人が少なくないだろう。

 

夜、病院などで、映画やラジオを付けているところがある。

その理由は、安心して眠れるようになるからである。

 

無論、住宅地内のファミレスが24時間営業するのは困る場合もある。飲食前後におなかが満たされると、皆と雑談するのがうれしくて騒がれる場合があるからである。しかし、商業地であれば、周囲はほとんど人がいないだけでなく、車が通ったりするので、問題になりにくい。

しかし、コンビニやスーパーの24時間営業が無くなって困るのは、実は、住民であったりする。夜仕事したり、昼間拘束されたりする人がいるからである。商品を購入し持ち帰るだけであれば、あるいは、車の中で食べる場所は、騒ぐ人はほとんど皆無である。逆に騒ぐほうが異常であったりする。おかしな人がコンビニ前で「長時間」いても、防犯カメラがそれを撮影する。証拠になりやすい。

 

なお、時間短縮したいコンビニなどはある、ということは知っている。

大阪でそれをし始めた、という話もあるが、全国的に意外と時間短縮のコンビニはある。

ただ、正直困るのは、市民に、

 

コンビニ = 24時間営業

 

の意識がある、ということだ。そして、

 

24時間営業するには、少なくとも2つのうちのひとつ、レジの自動化をすることは必須

 

という認識がコンビニ側経営にない、ということもである。

 

仕出しで大変。というコンビニ。アルバイトが突如逃げていくことも多い。レジの自動化がないと地獄になるケースもある。それは、店長が悪い、といえるのだろうか。アルバイトも来れない雪でも開けてください、と言われたオーナーの話も耳にしたが、ITが生かされていない現実が目の前にあるのに、こだわりがかなり時代錯誤になっているのではないか。誰にでも優しいコンビニは、高度情報化になっていき、目の前で具現化するのはムズカシイのである。

レジに人はいなくても、仕出しはしなければならない。きちんとしていることに人の精神が宿る、というのであれば、それこそが、販売として大切なベースなのであろう。人がいるから重要なのも事実だが・・・実際は、そこに人がいるのかどうか・・・。

 

いつもきちんと購入者のためにある。

24時間営業が常識であるコンビニで、24時間営業でない場合は、視野的に何か表現を変えるなどの工夫を含めて、しっかり検討してほしいと思っている

 

 無論、24時間営業なんて決まっていない。と人は言うだろうし、事実、コンビニは、営業時間を拡大した経緯がある。

 ただ、統一感というのがコンビニにある中で、24時間営業もその枠の中に入っている中で、24時間できません、という場合に・・・これは、企画会社にも重大な問題があるのが現実だが・・・あまり消費者利用者にとって喜ぶ話ではない、ということである。

 なお、24時間営業できないコンビニの場合はグループを別に作り、ネームを変えてみるなどでカバーする方法もあっただろう。あるいは、買い取るという方法も。そうしないと、他社に取られてしまうケースもあるだろう。 無論、する義務はないのかもしれないが、することで何か良いことが起きる可能性を否定しない。ただ、これはあくまで外野的な意見。何か別途ある場合にはこのコメントは必ずしも有効ではない。と理解してほしいと思っている。

 ただ、消費者としてコンビニを見ている中で、IT的にも進化が完全に止まってしまった中で「人が足りない」とわめいている状況というのは、「???」でしかない。コンビニはできた当時、ある意味、最新鋭の場所であった。しかし、そこから進歩が止まっている気がしているだけでなく、だんだんと消失し始めたものもあるようである。

 

 例えば、弁当の味が平均的、というのがコンビニだったのだが・・・マニュアル通り作らない店員と、そういう店員に任せないといけない近くにレジがない悲しき消費者。レジ対応は無人のほうが良い、と書くには理由がある。さらに、わかりにくい端末システムや宅配システム。お客様の無理解や、お客様の高齢化への無理解。

 

どこかのあほ政府の担当者が発展途上国向け研修といういい加減な話で作っているのであるとすれば、発展途上国は最新に準ずるシステムを、外国某中国などから導入し、多少の事故があってもそれを保険で補償しつつ、ITを通じた「いきなり最新システム」がどこかの国の周辺国に安価で出来上がって旧システムがすべて用済みになっても不思議ではないだろう。

 

現金商売をあざ笑ったような、リクルートのカード決済システムのCMを見たが、そういう感覚のような感じである。

お客が一切来ない中「溶けかかった」カメラを販売する写真店。その店がつぶれた時、保管されていたみんなの写真はどうなっただろうか。

おそらく、すべて本来の所有者に返されることなく破棄されたのであろう。小さな医療機関でも最近多くそういう現象がある。

 

社会は犠牲の上に成り立っている。

 

消費者が残酷なのではなく、そういうお店をわざと生み出し、古き良き日本を歪んだ情報化でつぶしているブラックな人たち。その歪みは、時として、外交上の歪みまで生み出し、本来の人の在り方をも歪ませていびつにするのではないだろうか。