この記事を読んだ。

マクドナルドでチキンナゲットのソースがなく連絡したら、ソースを大量にもらえた、という話がある。

 

で、ここでいくつかの疑問が出てくる。法学が好きだからかもしれない。

 

1、どれくらいの時間がかかったか(冷えてなかったか)

2、時間がたっている場合、チキンナゲット自体はもってきたか、あるいは、チケットは持ってきたか

(現時点のコメント欄に、チケットをもらえた、という話が書いてあったため)

 

ただ、この話は、難しい面がある。

 

ある場所では、チケットを渡すことが標準で、ある場所では、ソースのみが標準、というものである。

あるいは、会員にはチケット、非会員にはソース・・・。

・・・。

 

マックの話で申し訳ない。

 

ただ、「ソースをもらえた」をどう評価するべきなのか。もらえないよりはよいのだが・・・。

否、そもそも、「ソースを入れてなかったこと」に故意はなかったのか。

 

ニホンアニメ(マッチポンプ=仕掛け)の影響か・・・などなど。

 

ひとつの記事がこれだけ、考えれば考えるほど広がっていくわけではあるのだが・・・。

 

記事を書くことの危険性を考えると、インスタ(写真)「だけ」のほうが良いのか・・・など、ふと考えてしまったのであった。

しかし、人間は、息をしている時点で、すでに社会に干渉しぶつかっている。

 

マクドナルド(マック・(大阪)マクド)さんやファンや周囲の人がどういう理解でいるのか、少し気になってしまったのであった。

マック自体は、難しい中、個々の経営者さんたちは頑張っていると思う。ただ、周囲の環境や理解も含め、限界もある、と思っている。

急激な地方都市の人口減少で、経営が大変、という話もあるのだろう。場所によっては、お店の周囲も多くの店舗が消失し始めている。

 

マクドナルドに限らずだが、24時間店舗が一時的に24時間でなくなることもあるとも思われる。(ただ、昼間お客さんが大量に来る店が、24時間なのに24時間していないのは、しかめ面せざるを得ない時もある。ドライブスルーを併設していない場合やドライブスルーがあっても徒歩のお客さんの利便性が悪い場所は、経営が厳しいかもしれない。そのしわ寄せが従業員さんやお客さんに来なければいい、とは思っている。)

 

・・・なんと大袈裟な記事なんだ。しかし、論評を可能性を基に書くと、こういう文書もかけてしまう・・・という恐ろしさがある。

そう考える。

 

注 意

 マッチポンプ、などと書いていますが、人がそう思考する可能性がある、という事で書いています。

 記事の引用元などを批判しているわけではありません。

 また『記事を書くことの危険性を考えると、インスタ(写真)「だけ」のほうが良いのか・・・』という悩み的な表現について、ご理解願います。

 また、ブログはブービートラップのネタでもありません。