最近、子どもの貧困、が言われなくなり・・・

 

 都合の良い情報の開示は都合の良い情報のみを残すことにつながる

 

 と思ったりすることがある。

 

 そして、情報を平気で破棄することは、様々な機関で問題になっているが、一部で悪質な妨害ともいえる電子化の対策(改ざん対策を含む)が取られないため、十分に機能を果たせない。

 

 ということもあるようだ。

 

 破棄と改ざん、正確な記録をとらない、のどれが悪質なのか、どれも悪質なのか・・・かなり悪質なんだけど。人間がやることなので難しいわけではある。

 

 桜を見る会の記録がない。ということは、日本の今の価値観を証明する的な話を書いたが・・・あまりにそういうことが多すぎて、どこもかしこも桜をめでるようなもので構わないという方向性に時代がなっているのではないだろうか。

 

 美しい。ただそれだけを見たい。(背後のリアルな努力とか、どうでもいい → シュレッダー)

 

 そういう風な時代の流れを感じつつ、

 

 政府の責任を追及する側も、結局、美しい、だけを求めているため、やはり自民党は強い。で終わるのではないかな。と思うのである。

 

 例えば、脳の記憶も、医療の検査結果も・・・子どもの血液検査も、ケガも病気も衣服も、数多くの情報が、公開では勝者に「すべて」美しい(と法的記録的にしたい)・・・それでいい。と。

 

 そして、その時代を作ったのは、ほかでもない私を含めた私たちではないだろうか。無論、技術を持ったもの、なのであるが。そして、それは・・・我が国の、ゲームのような、きれいにはかなく散る美しすぎる人間臭さ無き仮想社会の到来を意味するのではないか、と思われるのである。