元農水次官、起訴内容認める 長男殺害「間違いない」 東京地裁
12/11(水) 10:17配信(時事)

『自宅で長男=当時(44)=を殺害したとして、殺人罪に問われた元農林水産事務次官の熊沢英昭被告(76)の裁判員裁判の初公判が11日、東京地裁(中山大行裁判長)であった。

 熊沢被告は罪状認否で「間違いありません」と起訴内容を認めた。

 捜査関係者によると、熊沢被告は5月下旬に長男と同居を開始。長男は仕事をせず、同被告と被告の妻に暴力を振るうようになり、事件直前には近所の小学校の運動会にいら立って「うるせえな、ぶっ殺すぞ」などと話していたという。

 逮捕された同被告は、引きこもり生活をしていた男=当時(51)=が同月、川崎市で児童を襲撃して自殺した事件を念頭に「(長男が)自分や周囲に危害を加えるかもしれないと思った」という趣旨の供述をしていた。

 起訴状によると、熊沢被告は6月1日午後3時15分ごろ、東京都練馬区の自宅1階和室で、長男英一郎さんの首や胸を多数回包丁で刺して殺害したとされる。』

 

 よく考えると、家族間の殺害などは、死んだ家族の弁護は誰がやるのだろうか、と思うことがある。

 

 また、

 

 なぜ、同居のままだったのか?

 暴力をふるわれた際、警察や医療機関などには相談したのか?その相談は適切だったか?支援は適切だったか?

 殺した家族に問題はなかったか?

 

 という問題もあるだろう。

 

 めった刺しとも読める殺害方法は、過剰防衛的なものかは不明だが犯罪抑止を超えていると思われる。

 家族の同居問題や支援問題、周囲の環境も含め、きちんと精査すべき問題はあるのではないだろうか?

 

 ちいさな子どもであれば、引き離して育てるための児童相談所がある。

 しかし、大人の場合は、そういう施設等はなく、すべてを一か所に押し込んで責任を取らせてしまおう、というような傾向もみられるという。生活保護の事案でも、親を見るのが当たり前、と、一部で、例えば、アルコール中毒の親の子どもの就職が決まっているのに、子どもにそういう方向に話を勧め、就職を妨げるような状況もあるようだ。いくら子供でも、生活基盤を固めてこそ親が見れるべきであり、親に引きずられるのは本末転倒だと考える。

 

 記事からはわからない家族模様を含め、裁判でなるべく明らかにしてほしいところではあるのだが・・・家族間の殺害の場合や殺された側に家族等がいない場合は・・・