アマゾン「置き配」の衝撃 「お客様が神様で無くなった世界」で起こり得る“格差問題”
11/12(火) 9:00配信
ITmedia ビジネスオンライン
この記事を見て『あほか』とおもった。
置き配自体は、実はたいした問題ではないのである。
グローバルの一部が、差別を置き配とともに持ってこようとすることが問題なだけである。
置き配そのものは世界中でも行われており、昔の牛乳配達などもそうであるし、そこに毒でも入れない限りは、国民の栄養を保全するサービスであるわけだ。問題は、そこに毒も持ってくるかどうか、である。
まずAmazon商品や一部販売業者で問題になるのは、Amazon利用者など販売者の商品管理である。
返品をそのまま新品として点検せずに流すようなことがある、と言われている。
返品はいわゆる「展示品」であり、「ほぼ新品(展示品)」として販売すればいいわけである。ところが、それも新品として新品に混ぜて販売するのである。しかも、ものをろくにチェックせずに。
新品として売られれば、知らないお客は怒るだろう。さらに、コンダクトセンターの担当の中には、酷い展示品を、しらばくれる(相手にしない対応をする)ケースもある。髪の毛、ゴミ、錆び・・・を「新品」として一緒に売られたら、怒りは頂点に達するだろう。(注意:本事例は通販全体の話です)そして、日本の一流メーカーも、何故か野放しの対応をしている。
台湾メーカーや中国メーカーと堂々と書いているところのほうが、小さなことでもなぜかまともな対応をするケースも多いが・・・いろいろである。
この点については、「新品」と「展示品」として分けるようお願いしている。
通販のお客さんの中に悪魔が育つのは、こういう状況があり、かつ、販売者が対応せず、消費生活センターが価格が安いからと相手にせず、キレつつ使用・廃棄・中には経費もちで返送するという状況もあるからだ。さらに、もっと悪魔化するのは、家電店やスーパーコンビニでも同様の商品が運悪く売られ、それを購入してしまうケースである。特に、店員の対応が悪く、それを指摘しても放置し、クビにしない、良識側で戦わないケースは、さらに悪魔化する要素となるのである。
悪魔と化したお客は、もはや良識もぶっ飛ぶため・・・以下略
悪魔は周囲が作っているケースもある。お客様は神様の時代は終わった、のではなく、お客様が悪魔の時代になった、否、接客含めて悪魔化した日本、という・・・そういう日本になりつつあるのではないか。とも思われる。
さて、ここまでは、販売商品のお話。置き配の問題も、これの延長線上なのである。
『現在、利用できる置き配のサービスは、利用者が能動的に置き配を選択する必要があるが、多治見市の実証実験では、標準を置き配設定にする。配達後には写真をメールなどで確認することができ、盗難などの際にはアマゾンが補償するという。希望すれば手渡しでの受け取りも可能である。』
ところが・・・である。ここで警告した話がある。
写真を、という話もあるのだが、これはあくまで、配達業者の作業員のスマホの話である。
作業員が悪魔だったら、作業員は写真をすり替えるくらいのことは平気でするだろう。悪魔とはそういうものである。
芸能人が泣きながら「ツイッターのIDを勝手に盗まれていたずらされたー」という日本。そういうのは想定内だろう。
配達会社の社員が配送物を家においたり捨てたりした事件もある。
であるから、私はアマゾンに、置き配用のBOXをお客様にも持たせた方が良い、できればカメラ付きで電子錠付きで、としている。置き配用のBOXを持っているとしているお客様限定で置き配をすべきだ。とも。そう主張している。★
『また広く置き配が普及すれば、一定確率で荷物の紛失などトラブルが発生する可能性が高く、一部の利用者はアマゾンに対して激しいクレームを付けるだろう。こうしたトラブルがネットで拡散し、一種の社会的ヒステリーを起こす可能性は否定できない。』
記事ではこう書かれているが、正直、お客は様々に黙らせられる。
芸能人でツイッターが乗っ取られた(TT)があるなら、一般人ではどれくらいの状況なのだろうか。
一般的には「有名人だから起きるんだよ~」というが、それは明らかに違う。一般人は「大したことない(なんくるない)」と言われ「黙る」のである。
『不利益受けると「クレーマー化」する日本人』も違う。我慢が暴発する、のである。
日本人は、どこかで我慢している人が多い。我慢の形態は異なるが、我慢するのである。そのような中で、まず、販売者やサービス提供者が『安い時給なんてやってられない』と横柄になっていく。あるいは、工夫無き安い単価であるためサービスが出来なくなっていくのである。そしてそれは、弱いお客さんから順に連鎖反応でぶつけられる。
そして、お互いに悪魔化していき、意識は、ある意味洗脳され、ハワイならぬかっこよい外国人に逃げ、日本人そのものを毛嫌いするような状況を生み出していくのである。
Amazonで出ている日本人も、いつしか、カッコいい外国人に代わるかもしれない。
無論、その反面、日本好きの外国人は、逆に、礼儀正しい日本人をAmazon海外版で見ることになるのかもしれないのである。
著者は、最後に
『置き配をフル活用できる利用者は、時間を有効に使えるので、自身の生活も効率化され、しかもリーズナブルに商品を購入できる。一方、そうでない利用者は時間が有効に使えず、高い買い物を強いられてしまう。置き配の普及は、一種の経済的、社会的な格差すら引き起す可能性があると筆者は見ている。
筆者自身は、「お客様は神様である」という言葉はあまり好きではないが、消費者はそれなりに事業者に要求してもよいと考えている。だが、利用者は謙虚であるべきという今の日本社会の声が正しいものであるならば、置き配を選択しない利用者が不利に扱われることに不満を言うのは、アンフェアということになるだろう。』
という内容の記事を書いている。
しかし、よく考えてほしい。謙虚とは何であろうか。選択しない利用者が不利に扱われる、とはどういうことであろうか。
例えば、Amazonが単価が安いから、置き配を中心とした展開でよい、というのは正しい。
しかし、Amazonが単価が高いのに置き配をしろとお客に迫り、お客が置き配しか選べないのは、もはや、冒涜でしかないのである。
さらにいえば、Amazonが置き配をしているから、某Nippon社も置き配でいいだろう、と単価を考えずにお客に置き配しか選はせないのも冒涜である。
Amazon商品が高いか安いか。実は、これは難しい問題も存在する。ある人によれば、置き配は認めるべきではない、という。それは、置き配を認めると、単価を下げずに本来対面受け取りの利益を奪うからだ、というのである。よくはわからないが、Amazonは日本の物流をかなりウェイトを占めているといわれている。別の通販会社でも裏はアマゾン、という話もあるようだ。つまり、Amazonはもはや、物流企業としても、いい加減な店舗販売をする会社を押しのけ、ある意味、日本のエースとなっているのである。
そのAmazonが置き配をする、という話は、確かに魅力的だ。しかし、置き配のみ推奨するという話ではなく、人による選択肢を与えるべき、というような方向性に持っていくべきであろう、と思う。置き配を選択しないものに不利益が生じるかも、というのは不気味である。
しかし、いずれにしても、人が人に恣意的におかしく関与することで、店舗だろうが通販だろうが、人が悪魔化することを私は知っている。私が直面している諸問題の一部だけでも、それを証明するに十分である。
それ以外でも、悪魔な状態として
北九州市のイノシシ砂防ダム落下救出事件
というのもある。全国区でニュースになったこの事件だが、悪魔たちの多くのお電話による行政の声により、砂防ダムに落ち込んだ、農家にとって害獣とされるイノシシが野に放たれてしまった事件があった。
https://www.tokyo-sports.co.jp/entame/1167292/
砂防ダムのイノシシ2頭“餓死待ち”状態に加藤浩次も小倉智昭も「なぜ?」
2018年10月25日 11時01分(東スポ)
https://www.nikkei.com/article/DGXMZO37021730X21C18A0ACYZ00/