産経新聞が報じている。

 

「八幡製鉄所」の名消える 日鉄が国内6製鉄所に再編

産経新聞 11月1日19時3分

 

八幡製鉄所と大分製鉄所を九州製鉄所に変更するそうだ。

 

宮本」副社長がコメントを記載していたが・・・

 

前身の新日鐵は、斬り捨ての会社だといううわさがある。

研究をしていても、その研究者が去ったりプロジェクトがなくなった場合、一部に成果があっても、すべて消滅させるそうだ。

事実かどうかはわからないが、関係者から聞いた話である。

 

ただ、報道は酷いな、と思う。

朝日新聞もそうなのだが、「八幡製鉄所」が前面に来ている。

「君津」「釜石」その他旧住金系も消えるようだが・・・なぜ「八幡」?

 

これには少しムッとした。

 

北九州市は、昔、意外と、筋を通す人が多かった気がしている。

ただ、ひょっとすると、一部の市民だけなのかもしれない。

生活保護不受給(拒否)で死んだ人もいたわけだから、である。

最近は、かなりルーズになった気もする。

古い倒壊しそうなビル、ゴミ屋敷、歯抜けのような空き地、がけ崩れなどの災害、・・・意外と目立つようになってきた。

 

・・・多くの人が死に絶え、あるいは、引っ越し、意外と他市からの流入もあるようである。まるで、市民が、整形やお面をかぶって、街を歩いているような感覚になる人もいるだろう。(表現として適切ではないかもしれないが

 

さらにいえば、正直、北九州市は、今後、さらに財政的に覚悟しないといけない、と思っている。

本来は、市の基本条例の時にそうすべきだ、という叫びを聞いていたのだが。

ラグビー場の際にも同じことが言われていた・・・と思う。人切り捨ての予算(案)。行政関係者にそういわれた。

つまり、その時には、関係者には分かっていたことのようである。

耐震性の悪い光熱費がかかる建設物は、技術的に純粋に確認し、順次取り壊さなければならない。

古い伝統を護れ、という抵抗を受けているように見えるが、その抵抗は、結局、費用を浪費させるだけである。

人を、それで護れるのか?

古い伝統は心と写真に収めるべきである。そして、新しい自分個人を護る戦いをするべきだとおもう。

 

まんが図書館という方向性を市が創っている。これ自体はよかったとおもう。

まんがで知識が得られないわけではないし、図によりわかりやすい面もあるわけだ。

将来、まんがで教科書が作られる時代も来るだろう。活字だけでは乗り越えられないことはおおいわけである。

 

しかし、活字は活字で良さがあるのだが、北九州市自体はそれを生かさない方向性にあるようにも感じている。

事実、中央図書館は青年図書館を併設したが、映画の舞台やそのつくりから、明らかに生活空間を超えて観光地化している。(自習室は期待未満である気がするし、視聴覚・音楽部門は別のところへ飛んでいる。)蔵書数もかつてのイメージほどではないだろう。

仮に観光地化をさらに進める場合は、別に生活としての図書館を作る必要性があると思われるが、すでにその用地予算はない気がする。

 

いろいろ話をしたが、製鉄業が今後どうなるかについては、不透明な点が多い。

小倉の製鉄所は閉鎖される予定、という報道もある。しかし、ビジネス上の話であるため、どうなるかは不明である。噂通りなら、八幡もついでに、も、忖度ではなく損得計算が合えば、あり得ないわけではないからだ。(実際、八幡製鉄所の従業員は北九州市の住民以外がおおい、という現状もある=通勤者も市民と書いてしまった、市の基本条例に対する恨み節はここからきていたりするようだ・・・ただ、通勤者も市民なら、サラリーマンや観光客・住民に対する夜間医療も強化すべきだろうに・・・

ただ、そういう流れの場合、放棄されるか、市が買い取りをするとか、住宅地への転換をするとか、そういう話にはなりそうな予感である。

市は、過去に製鐵所跡地を開発した経緯がある。であれば、その可能性は高いだろう。住宅地として開発するならば、JR駅やバス停と住宅地に無人のデマンド交通を24時間走らせ、高齢化にも対処でき、隣人同士の摩擦がないような、2車線道路が適切にある開発を期待したいのだが・・・。(下関北九州道路になるかもしれない)

 

何はともあれ、「八幡製鉄所」の名称は消えるそうである。それに対し、日本製鐵に、ではなく、報道に「カチン」と思ってしまった。

 

※一部、タイトルを修正しました。