わたし という人間の自己紹介。
現在40才。既婚。子供なし。
旦那と仲が悪かったわけでもない。
借金があったわけでもない。
でも、セックスレス。
原因は他人からみたら「なーんだ、そんなことか」と思う些細なことだろう。
けれど、その物事の重みを、他人からは測れない。
理由としては
東京にずっとわたしが住んでいて
大阪に来たくなかったのにきてしまった。
東京で劇団をやっていて。
それでその劇団をやめなきゃならなかったし。
凄くそれが嫌だった。
もう、演劇なんかやめろっていわれているみたいで。
どうせお前は才能がないんだからと。
それに、大阪に来たらきたで
「子供はいつ?!」といろんな人に聞かれた。
おんなじ質問。
腹が立った。
ありがた迷惑。
しかもひやかされまでもした。
私はクリスチャンで
母は私を厳格に育てた。
人前でいちゃいちゃとかしてはならないと。
性行為は不純なもの・汚らわしいものだと。
だから、ひやかされるのは、非常に屈辱的だった。
だから、性行為をもたなかった。むしろ結婚してから。
結婚前は、もっても避妊していたから・・・
そうして、関西でひとはた上げてやる!と思っているうちに月日がたってしまった。
一旦35才で、もう子宮がやばいなと思った。
けれど、なんか、嫌だった。関係を持つのが。
なんでだろうか。いろいろ理由はある。
その頃旦那を公務員にさせるため、勉強させていて、私が仕事をしていた時期だからだというのもあるかもしれないし、付き合って3年以上たつと恋愛感情はわかないらしいですよね。
いわゆる愛が情にかわるってやつ。
そんな中で関係がもてなかったし、もともと潔癖で厳格な娘だし。
そこで仕方なくやるだけやろうと思ったけれど
どうしてもできなくて、泣いた。
精神的にわたしが、乖離性障害を持っていたのもこの頃。
悪く悪く重なった。
段々、世間がいう「嫁」という言葉にプレッシャーを感じた。
わたしはそんなにいろいろ出来ない!いやだ!と全てを拒絶したくなった。
そんなこともあり、乖離性障害になっていた。
で、精神的に不安定な人は妊娠しないほうがいいらしくて。
それは産婦人科の先生に言われて、ちょっと「え?!?!」と思った。
わたし という人間の自己紹介。
40歳。既婚。
いわゆる世間でいう言葉でいうとセックスレス。
仲が悪いわけではないけれど
3年を過ぎると生物学的に恋という気持ちはなくなるらしい。
そういう同居人状態。
なんでそうなったんだろう。
そもそも関西にきた理由は
東京にいたわたしが、関西に引っ越してきた。
それも凄く嫌だった。
東京で劇団をやっていたから
やめたくなかったし
最高の仲間だったのに。
引き離され、やりたいことをもうやめろというように
みんなは口を揃えていった。
「子供は?」
・・・
「○○さんの奥さん」
という言われ方が嫌で。
自分を誰も見てくれてない気がして。
自分という個性なんかいらなくて子供さえ生んで育てたら満足なんでしょってひねくれて
自分が何か一旗あげたいと思って。
子供をつくらないまま10年がすぎてしまった。
その間もいろいろあった。
逆恨みも今でもしている。
あの時、関西としては当たり前なひやかしをした人々に。
若いときには簡単に出来ることなのに
今になってしまうと、まず検査。お金かかる。
とても屈辱的。
え、じゃあ関係を持てばと言われるかもしれないが
それが無理なんだ。
なぜなんだろう。
母親が、クリスチャンで潔癖症だったからかもしれない。
母親が、旦那のことを全く気に入ってなかったからかもしれない。
わたしが、女として見られなくなることを極端に恐れたのかもしれない。
わたしが、いい母親になる自信がなかったからかもしれない。
完璧主義だったところはある。
今はというと
もうホントに37歳ころから
もう子宮がやばいと思って焦って
いい母親にはならなくてもいい!と開き直れたのに
旦那の方が父親になる自信がないという状態だった。
お互い、ちょっとうつ状態なところがあったし
そういう精神状態で子どもはおすすめされないようだ。
とにかく、世間の人が簡単にしていることが(簡単に見える)
こんなにも大変なことなのかと愕然。
作品を残してきたわたしだけれど
今作れる作品・今しか作れない作品は、こどもだと思っている。
自分の血を後世に残すこと
自分というか、自分が受け継いできた血を。
それを今になってしたいと思うようになった
もう、子どもの名前も決めている。
これから不妊治療をしたことを
書き留めていこうと思う。
40歳。既婚。
いわゆる世間でいう言葉でいうとセックスレス。
仲が悪いわけではないけれど
3年を過ぎると生物学的に恋という気持ちはなくなるらしい。
そういう同居人状態。
なんでそうなったんだろう。
そもそも関西にきた理由は
東京にいたわたしが、関西に引っ越してきた。
それも凄く嫌だった。
東京で劇団をやっていたから
やめたくなかったし
最高の仲間だったのに。
引き離され、やりたいことをもうやめろというように
みんなは口を揃えていった。
「子供は?」
・・・
「○○さんの奥さん」
という言われ方が嫌で。
自分を誰も見てくれてない気がして。
自分という個性なんかいらなくて子供さえ生んで育てたら満足なんでしょってひねくれて
自分が何か一旗あげたいと思って。
子供をつくらないまま10年がすぎてしまった。
その間もいろいろあった。
逆恨みも今でもしている。
あの時、関西としては当たり前なひやかしをした人々に。
若いときには簡単に出来ることなのに
今になってしまうと、まず検査。お金かかる。
とても屈辱的。
え、じゃあ関係を持てばと言われるかもしれないが
それが無理なんだ。
なぜなんだろう。
母親が、クリスチャンで潔癖症だったからかもしれない。
母親が、旦那のことを全く気に入ってなかったからかもしれない。
わたしが、女として見られなくなることを極端に恐れたのかもしれない。
わたしが、いい母親になる自信がなかったからかもしれない。
完璧主義だったところはある。
今はというと
もうホントに37歳ころから
もう子宮がやばいと思って焦って
いい母親にはならなくてもいい!と開き直れたのに
旦那の方が父親になる自信がないという状態だった。
お互い、ちょっとうつ状態なところがあったし
そういう精神状態で子どもはおすすめされないようだ。
とにかく、世間の人が簡単にしていることが(簡単に見える)
こんなにも大変なことなのかと愕然。
作品を残してきたわたしだけれど
今作れる作品・今しか作れない作品は、こどもだと思っている。
自分の血を後世に残すこと
自分というか、自分が受け継いできた血を。
それを今になってしたいと思うようになった
もう、子どもの名前も決めている。
これから不妊治療をしたことを
書き留めていこうと思う。