親の意向で

見せかけの自らの意志で

本当の自分の意志で

習い事をした経験がある人は少なくないと思う。


このブログを読んだ未来の自分が可愛い息子、娘に習い事をさせる時に
少しでも子どもの気持ちを考えるきっかけになれば嬉しい。

習い事に限らず学校の勉強をする際にも同じことは言えるはずだ。



僕は3歳から13歳の頃までバイオリンを習っていた。

たしかきっかけは幼稚園にも通っていない程幼い頃、チェリストである父の演奏を鑑賞し迫力に圧倒されたことだ。

昔も今も好奇心旺盛な性格な僕は

「これやりたい!」

と特に深くも考えず言った。

いや、環境に言わされたのかもしれない。

音楽専攻で大学を卒業した父と母だ。

少しでも自分が音楽に興味を持つようあの手この手を使っていたに違いない。




それからまもなくしてバイオリンを習うことになった。

「バイオリンはチェロの子どもだから。」

それくらいの認識でバイオリンを選んだような気がする。

習い始めてからしばらくは、ドレミファソラシドを鳴らせる。

それだけで嬉しくなったものだ。





しかし、ただ楽しい思いをするだけでは許されなかった。

徐々に曲の難易度が上がるにつれてより細かい表現(ビブラート、ブレス、重音など)に関する指導が先生から入る。

指導されたパートを何度も何度も卒なく弾けるようになるまで練習する(させられる)。

この反復練習が増えてきた頃からバイオリンを弾くことが楽しくなくなってしまった。





楽しくなくなった理由はただそれだけではない。

自宅での個人練習中も指摘が入ったところができていなければ

「そこ違う。」
「そうじゃない。」
「なんで何回も言ってるのにできないの?」

ひたすら頭ごなしに注意され演奏を中断させられる。


恐らく母親の音楽への強いこだわり、感情が教育者としてあるべき伝え方を超えてしまっていたのだろう。

しかしそんなの当事者であるこっちからしてみれば知ったことじゃない。

最早、弾くタイミングすらも母親に管理される。


ただでさえ反復練習に苦手意識を覚えていた僕は泣きわめきながらもう弾きたくないと子どもとしてできる精一杯の抵抗を始めた。

そんな子どもの抵抗に母親は怒鳴り散らすばかり。




(今でこそ世界中にママという役割を担った人はたくさんいて
自分の母親はそのうちの1人に過ぎないとわかるが当時の自分にはそんな事考える由もない。

こうした幼少期での環境の影響があってか、今では効率を人一倍重視するようになった。

いかに短い時間で、少ない労力で、誰かに余計な口出しされる前に目標を達成させるか。

そんな事ばかり考えてしまう。

アドバイスとわかっていても余計な口出しと認識してしまうことだってある。)




そんな風に好きでもない習い事を続けてるうちに小学生になった。

そして1年生になりクラスで特技、趣味発表会なるものでバイオリンを演奏することになった。

これが初めてバイオリンとは馴染みのない人達へ自分の演奏を披露する機会となった。

これが初めて他人から大絶賛された経験にもなった。

今まで演奏をただただ褒められるだけなんて言う経験のない僕にとって
この経験はとてつもないモチベーション向上に繋がった。

その時から練習中にごねたりしたことはほとんどなくなった。





(その後中学一年生でバイオリンをやめることにしたがそれは嫌いになったからとかではない。

バスケ部に入り週六で部活がある生活が当たり前になったから。

また、そろばんも小学校高学年から習い始めて週四程で通っていて、やりたいことの優先順位が低くなったから。

その頃には自分の意志で時間の使い方を選んでいたような気がするので良かったと思う。)




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ある程度自分が理解している習い事であったとしても
教えるスキルは職業として先生をやっている人の方が高いだろう。


それなら技術面に関してはすべて先生に任せては?


子どものスタートを0と考え微々たる向上だとしても褒めてあげては?


学校や職場で揉まれに揉まれたあなたにとっては
ほんの些細な言葉や振る舞いであっても
子どもにとっては大きく心を動かすということを忘れてはいけない。







将来、自分が親になった時、子どもの目線を失ってしいないことを願いたい。










バイオリン、また弾きたいなぁ。。。
ネコノミコト