作業員3人が被曝し
福島原発は悪い方に進んでいる。
災害から2週間 復興マップも示されず
被害はおさまるどころか、大きくなるばかり。
水道水、栃木産野菜には
放射性物質が検出されミネラルウォーターの
買いだめ、風評被害が起きている。
経済復興どころか、国が農業を痛めつけ、
計画停電という無計画な停電で
各家庭だけではなく零細中小企業が
打撃を受けている。
自然災害ではなく、人災なのは明らか。
「野菜を食べてもすぐに人体には影響ないが、
さし控えた方がいい」
大臣に言われて、食べる人いるの。
栃木産を買うなと言っているのと同じ。
これで栃木の農業は崩壊します。
大臣の責任です。
乳幼児に水を配ったり、
栃木産の野菜を食べなかったりしても
どうにもならないような気出してならない。
そんなことしても無駄。
かえって不安をあおり混乱を引き起こしている。
放射性物質に敏感に反応するのは当たり前だが
原発の近くで直接被ばくする方がよっぽど危険です。
直接現場で作業している方以外は
落ち着いて行動してください。
栃木産の野菜より
農薬、工場排煙、廃棄ガス、大気汚染、
光化学スモッグ 化学肥料
食品添加物 歯科用のレントゲン写真、
中国、朝鮮、ロシア、インド、などの核実験
こちらの方が危険です。
福島原発は過去にも数々の事故を起こしている。
公表されているだけでも、列記すると恐ろしくなる。
東京電力は「当時は報告義務がなかった」
と反省の様子はない。
放射能の監視は今後も重要だが
その近くの農産物を出荷停止する必要はない。
今回の風評被害は東電と政府が補償すべきです。
そして、災害に対しての復興マップ
期間 方法を具体的に示してほしい。
被災者はいつまで避難生活を
しなければならないのだろう。
住宅はいつまでにどのような方法で、生活支援は
政府の復興マップに期待します。
国内
1978年 第二原子力発電所3号機
戻り弁の操作ミスで制御棒5本が抜け、7時間半臨界が続いた。
制御棒が抜ける本質的な弱点の事故。
この情報は発電所内でも共有されず、
同発電所でもその後繰り返され、他の原発でも繰り返された。
1999年 志賀原発 臨界
1989年 第二原子力発電所3号機
原子炉再循環ポンプ内部が壊れ、炉心に多量の金属粉が流出した
1990年 第一原子力発電所3号機事故 主蒸気隔離弁を止めるピンが
壊れ、原子炉圧力が上昇して自動停止。
1991年 中部電力浜岡3号機の制御棒が3本抜けた。
中部電力は「国への報告はしなかったが、他電力へ報告した。」
事故発生から29年後に発覚、公表された。
1991年 関西電力美浜発電所2号機
蒸気発生器の伝熱管の1本が破断。
1997年 動力炉・核燃料開発事業団東海再処理施設アスファルト固化
施設火災爆発
1999年 北陸電力志賀原子力発電所1号機
運転日誌への記載も、本社への報告も無かった。
原発関連の不祥事続発に伴う保安院指示により公表。
1999年 東海村JCO核燃料加工施設臨界
作業員2名が死亡。
海外でも
1957年 ウラル核惨事 ソビエト連邦
1957年 イギリス原子炉火災事故 避難命令が出なかったため、
地元住民は一生許容線量の10倍の放射線を受け、
数十人がその後白血病で死亡した。
現在の所白血病発生率は全国平均の3倍である。
1961年 アメリカ 原子炉容器
3人死亡
遺体は、汚染度が激しかったため、
高レベル放射性廃棄物として処理。
搬送に使用した救急車も放射性廃棄物として処分。
1963年 フランス原子炉で燃料溶融
1966年 アメリカ 炉心溶融。
1973年 アメリカ 原発臨界。
1976年 アメリカ 原発臨界
1979年 アメリカ スリーマイル島原子力発電所
1986年 チェルノブイリ原子力発電所事故
直接の死亡者は数十名、がんなどの疾病を含めると、数万から数十万
事故による直接的な死者は最終的に9,000人。
事故処理に従事した作業員85万人のうち、5万5千人が死亡した
1987年 スウェーデン原発臨界状態
1987年 ブラジル放射能汚染。250人が被曝し、4人死亡
これでもあんぜんあ原子力と言い切る人たち
利権がらみとしか言いようがない。