
1年前の振り返りブログ
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旦那は癌性髄膜炎の治療で放射線をやっていた。
それが終わると
もう出来る治療がない事、知らなかった。
癌性髄膜炎と判断された時に初めて
余命宣告をされた。
1ヶ月
しかし、旦那には言えなかった。
これから放射線の全脳照射をするのに
その後は治療が無い。
しかも余命1ヶ月。
それなのに全脳照射する意味があったのだろうか?
その時は聴覚が悪くなっていたので
それを抑えるために行ったが
結局全脳照射4日目くらいに
聴覚を失ってしまった。
医者からは旦那の「知る権利」
はどうするのか?
ずっと言われていた。
何度も医者と話し合い、
この日放射線治療も残りわずかとなったので
旦那に話すことになった。
旦那、担当医師2人、看護士、私の5人で
話し合った。
その時、
旦那が
「出来ればまだ治療がしたい」
と、振り絞るような声で言ったのを
今でも思い出す。
「もう治療は無い。」
と医師から言われた時の
旦那のなんとも言えない顔が忘れられない。
本当に悔しかったんだと思う。
その後
「癌には勝てなかったか。」
と
呟いたのも忘れられない。
でも、
最後の最後まで頑張った旦那を誇りに思うし
愛おしくも思う。
自分のブログを読み返せなかったのだが、
ブログの振り返り投稿という案内が来て
見てみたらこの時だった。
やはり胸がザワザワする。
まだ、ブログの振り返りは
私にとっては時期では無いのかなあ?