続編:虚空蔵求聞持法をやってみた!

 

──「無限の記憶力」は本当に得られるのか?

かつて私は、「虚空蔵求聞持法をやってみた」という記事を書きました。

 

まだ読まれていない方はコチラ下差し

 

 

弘法大師・空海も実践したとされる修行法。
一日一万回、百日間、虚空蔵菩薩の真言を唱え続け、百万回を満たす。

達成した者は、無限の記憶力を授かり、
見聞きしたことを一切忘れなくなる

 

そう語られる、非常にインパクトの強い修行です。

この記事は今でも多くの方に読まれています。


おそらく、「記憶力が上がる」「頭が良くなる」「人生が変わる」
そんな期待を抱いた方が多いのだと思います。

 

ですが、今の私は、はっきり言えます。

虚空蔵求聞持法の本質は、記憶力ではありません。

 


 

「無限の記憶力」という言葉の正体

 

まず、よくある誤解からお話しますね。

 

虚空蔵求聞持法を修めたからといって、
・百科事典のようになる
・一度見たものをすべて覚えられる
・天才的な暗記力が手に入る

――そういう話ではありません。

 

これは断言します。

では、なぜ「無限の記憶力」と表現されたのか。

それは、記憶の“量”ではなく、“構造”が変わるからです。

 


 

虚空蔵とは「記憶を与える存在」ではない

 

虚空蔵菩薩の「虚空」とは、空っぽという意味ではありません。
あらゆるものを受け取り、保持し、必要なときに取り出せる

 

つまり虚空蔵とは、

  • 情報を詰め込む存在ではなく

  • 情報が自然に配置される空間

を象徴しています。

 

この修行で起きているのは、

脳が強化されるのではなく、
意識の受信構造が整えられる

という変化です。

 


 

百万回唱えることの本当の意味

 

一日一万回、百日。
正直に言います。これはキツいです。爆  笑

 

途中で意味を求めたくなります。
「何のためにやっているんだろう」
「本当に意味があるのか」

その疑問が湧くこと自体が、この修行の核心です。

 

なぜなら、

  • 思考が飽和する

  • 意味づけが壊れる

  • 評価や期待が剥がれる

その先で、意識が“静まり返る瞬間”が訪れるからです。

 

ここで起きるのは、集中力の向上ではありません。

選別の精度が上がる。

これが重要です。

 


 

記憶できるようになるのではない

 

「覚える必要がなくなる」

虚空蔵求聞持法を経て変わるのは、

  • 何を覚えるか

  • 何を捨てるか

  • 何が自然に残るか

この判断が、無意識レベルで行われるようになることです。

 

するとどうなるか。

  • 必要な情報は、必要なタイミングで自然に出てくる

  • 不要な情報は、最初から入ってこない

  • 思い出そうとしなくても、つながる

これを外側から見た人が、
「無限の記憶力」と表現しただけなのです。

 


 

これは「記憶の修行」ではない

 

ここで、私が今あらためて感じていることを正直に書きます。

 

虚空蔵求聞持法は、
知識を得る修行ではありません。

 

これは、

自我が情報をコントロールしようとする癖を壊す修行

です。

 

記憶力が欲しい人ほど、うまくいきません。
結果を求めるほど、雑念が増えます。

 

逆に、

  • 手放す

  • 明け渡す

  • ただ響かせる

この状態に入ったとき、
「覚えている/忘れている」という区別自体が薄れていきます。

 

ここに至った人だけが、
虚空蔵という名の“場”を内側に持つ

それが本当の達成です。

 


 

今、これをやろうとしている人へ

 

もしあなたが、

  • 記憶力を上げたい

  • 能力を開発したい

  • 何か特別な力を得たい

そう思っているなら、先に言います。

この修行は、期待をすべて壊します。

 

でも、

  • 意識の静けさ

  • 必要なものだけが残る感覚

  • 人生全体が整理されていく感覚

これを求めているなら、
虚空蔵求聞持法は、今でも非常に強力です。

 

「何かを足す修行」ではなく、
余計なものが削ぎ落ちる修行として。

 


 

追記:昔の私へ、今の私から

 

あの頃の私は、
「得られるもの」を探していました。

 

今の私は、
「何が消えたか」を見るようになりました。

 

そして気づいたのです。

 

虚空蔵求聞持法で得た最大のものは、
覚え続ける力ではなく、忘れていいと知る力だったと。

 


 

次回
👉 「では、なぜ今の時代に“記憶”が重くなるのか」

 

についてお話ししていく予定です。

 

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