武士道ブログ

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上杉謙信とは
父・長尾為景、母・虎御前の四男として生まれる。幼名は虎千代と名づけられた。父は越後の守護代で、同族には上杉定実がいた。謙信は幼い頃から春日山林泉寺の天室光育に預けられ僧侶として育つことになる。父が病のため隠居すると、兄の長尾晴景に家督を譲った。
しかし晴景は病弱で酒に溺れ合戦には出ず、家臣からも信頼を得られなかったので上杉定実の説得により謙信を養子に迎え長尾家の当主にした。関東では北条氏が力をふるっており、関東管領の上杉憲政に何度も援軍を送り、関東管領を譲り受け武田信玄と川中島で度々争うことになった。

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上杉謙信像


上杉謙信・年表まとめ

享禄3年(1530年) 越後守護代長尾為景の末子として、春日山城で誕生。
                幼名は虎千代。母は栖吉城城主長尾氏の娘・虎御前。

天文7年(1536年) 春日山城下の林泉寺に入り、名僧天室光育禅師から厳しい禅
の修業と文武の道を学んだ。

天文12年(1543年) 14歳で元服して平三景虎と名乗る。 長尾家領統治のため、栃
                尾城に移り城主となる。

天文13年(1544年) 15歳の謙信を近隣の武将たちが謙信を若輩とあなどり、攻撃
                を仕掛けられるが、敵を見事撃退。初陣を飾った。

天文22年(1553年) 兄・春景が病死。
                第1回川中島の合戦
                領土を奪われた信濃諸将の要請を受け、武田信玄軍と対決。
                9月に初めて上洛した。

弘治元年(1555年) 第2回川中島の合戦
                決着がつかず、駿河の今川義元の斡旋により一度和睦。
                春日山城下に善光寺建立。

弘治2年(1556年) 箕冠城の大熊朝秀が謀反を起こし、春日城にもどる。
                朝秀を撃破し、越後の統一

永禄7年(1564年) 第5回川中島の合戦

天正2年(1574年) 北条氏政に対抗し、関東に出陣。

天正4年(1576年) 本願寺顕如と和睦。また、足利義昭の要請を受け、武田・北
                条両氏と和睦し反信長体制を築く。 越中を平定し、
                七尾城を攻め立てるが攻略できなかった。

天正5年(1577年) 再び能登に侵攻。謙信に心を寄せていた遊佐続密が謙信と
                通じ、反乱を起こし、能登も上杉家の支配下となる。

天正6年(1578年) 関東大遠征直前に脳溢血で倒れ、49歳で帰らぬ人となる。