今回も「テロ」の質問についての続きです。
シリーズ化してきました。
テロシリーズの最初の記事は「ニュースは危険」というタイトルで
「最近世界のあちらこちらで、ISによるテロが起きています。こういうニュースを見るたびに怖くなります。テロの脅威から逃れるにはどうすれば良いのでしょうか?」
という質問に対して回答する形でお話をしました。
ポイントは
「テロに意識を向けないようにすることでテロとの遭遇を回避する」という感じです。
前回は質問者の「思考の対立」についてお話しました。
「知っている」「理解している」というのと「実践している」というのは全く別のレベルということについてお話しました。
今回はさらに質問内容について違和感~ひっかかりを感じたのでお話したいと思います。
「テロの脅威から逃れる方法は、毎日楽しくいい気分で、心配しないで暮らすことでしょうか?では、そういう風に暮らしていれば100%安全なのですか?」
というコメントもありました。
これも読んだ瞬間
???でいっぱいになりました!
何故このように考えるのか???
疑問でいっぱい???
最もひっかかった部分は
「100%安全なのですか?」
という考えです。
“100%安全”ってこの物質世界~現象界にはほとんど無いのではないかと思います。
例えば
飛行機や電車や車に乗って移動しようとしたとき
100%安全に何も無く、事故もトラブルも全く無く目的地に到着するってことは可能なのでしょうか?
以前の記事でお話したように
「安全」ということに意識を向けていれば事故やトラブルに遭遇する確率は何も意図していない場合よりは格段に低くなります。
しかし「100%安全」はありえないと思います!
「100%安全」が実現できるなら生命保険や損害保険や傷害保険などがあること自体全く意味がなくなります。
自分の意識の持ち方で限りなく100%に近づけることはできると思いますが100%には無理があると思います。
近所を散歩していても暴漢に襲われてしまうということが実際にあるくらいです。
テロが嫌だ不安だ心配だと思えば思うほどどんどん100%安全から遠のくことはまちがいありません。
どうしてもテロに遭遇する可能性を限りなく0に近づけたいのなら・・・
誰も知らない無人島に移住して外部との接触を一切断ち切ってしまえばほぼ100%安全に限りなく近づくでしょう。
テロリストは人が多く集まり、影響力が最大限発揮される場所を選びテロを実行するということが考えられます。
それでも100%安全ではないという理由は「テロ」ということをどこかで考えているからです。
嫌なこと、望まないことにはできるだけ意識を向けない。
好きなこと、望むことに意識を向けて
「今ここを楽しむ」と考えるのがベストだと思います。
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