(第1稿:0→1)
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文章を書くということの大事さ、ということについての本を読んだ。
そこで語られていたことは、「初稿までにエネルギーをかけすぎて」、動き出せない、文章を書くことがタフになる、
という話だった
それはとても身に覚えがあり、実感があった
実際、人によくみられている立場になる程、
無闇、やたらに、好き勝手な文章を書くことができなくなった
昔、それは昔のこと、大学生の頃に、自分の思考を、ブログとして放っていた自由さや楽しさはもはやどこかに置いてきてしまったようで、
それはとてももったいないことだなぁと思っていた
というのも、やはり自分のレベルを上げていくには、まとまったレベルの文章を書くことが必須だからだ
文章を書くちから、イコール、思考のレベル
だから、文章を書くことで自分の思考のレベルを上げていくことができる。
そこまでは自覚していた。
しかし、今回の本の中で、とても印象的だったのは、「思考を深める」ということは、「文章を直す」ということをすれば良い、ということ。
つまり、「事前に徹底的に考え込んで、書き始める」とするのではなく、
むしろ、思考の中身をかき、その無秩序さや、論理の弱さや、説得力の弱さや、メッセージの曖昧さを「外在化」させる。
書くことで「外在化」し、それによって自らを知ることができる。
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家族との時間も、とても幸せであり、とても自分の鍛錬にもなる場所だ
言い訳や正当化をすれば、誰かのせいにしようと思えば、こんな簡単に、不平不満に転嫁できるものはないだろう
一方、自分が転嫁したいということは、家族メンバーも自分に転嫁したいと思うということ
一つ一つ、思い出を蓄積していく。
一つ一つ、できることが一緒に増えていくことを目撃し、共有する
何か、新しいことを教えてくれる人なんだ、と娘にとって父親として思ってもらえるようでありたい。
次は、「こぐま会」の資料を1つずつ持ってきて、一緒にといて遊ぼう
遊びは、学びであり、学びは喜びであり、喜びはさらなる学びの場へと自分を突き動かす
できたかどうかよりも、好奇心が刺激されるように関わりたい
できるのは、いつか必ずできる、でも、学ぶことが嫌いになると、それはなかなか何十年もひっくり返らない、一生の人もいる
新しく何かを共有できることはとても幸せなこと
卵を割ってくれたり、ゆで卵をむいてくれたり、
お菓子を1つプレゼントしてくれたり、してあげる、ということを今は娘は楽しんでいるようだ
そんな姿を見て、とても幸せだし、とても満たされている。
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自らの成長について。
英語でのアウトプットが動き出した。これなら「学び→気づき→ストック」を一連の流れで行うことができる。
マーケティング視点や、アウトプット視点など色々考えて、試行錯誤がとても苦しんだが、
実際に動き出せたのは、「自分が整理したいことをまず自分が目撃すること」だった。
学ぶ、インプットをする、ということは尽きることがない。
それをそのまま出すのではない。
その学びから、自分の気づきが生まれ、気づきが「じゃあ自分の場合はどう使うのか」というところへ進む
それが自分の中にある実験精神へと向かう。このサイクルはとても良い。
英語で投稿していることが、1つの暗号のようで面白い。
このサイクルを保つことができれば、一つまた次の成長の段階へ進むことができる。