課題だったこと、が見える時…

 

人はやっと理解し、体感に至るのだろう。

 

 

私の長年に渡る課題だったこと…それは「課題の分離」だった。

それがはっきりしなかったうちには、

何の渦の中にいるのかわからない、わからなくなっていると

「見えないけど振り回されている」という

 

ワケのわからない感覚、、それが不安だったり恐怖になって膨らんでいき

パターンが作られ、種が芽を出し…巨木と化していくのだ。

 

 

 

 

 

”自分自身の内側で作られるものは、自分が管理する。

他の人の内側で作られるものは、その人自身が管理する。”

 

 

 

 

 

ここを、

自分のできること以外の責任を沢山沢山、

背負いこみ続けて、重すぎて歩けなくなった自分を

ダメだと思ったり、さらに追い込んだり…

 

そんなことはナンセンス笑(今だから言えるけど)

 

見えたらそんなに怖くない。。

でも、見えてるようで見えてないと、変えられないように感じる。

 

 

 

 

人のウェルビーイングに貢献したくて、

自分も自分の内なる衝動に従って動いているうちはよかったのだけど

 

そういえば「素晴らしい教え」をくれた人や

「違和感のある言葉」や「矛盾を感じる要求」…

色々なことに出会い素直に学べば学ぶほどに

 

与えられた型にハマり切らない自分がダメなのだ、と罪悪感を積み上げ、

他人の、「その人にしか変えられない部分」に勝手に踏み込み

「それに責任が取れない自分はダメだ」と勘違いすることが、

「課題を分離できなかったこと」だと理解した。

 

 

理解すると、意識するようになり、

経験するから、それは体感に変わる。

体感を繰り返すことで、体得できる。

 

 

日常生活の中で、家族間の関係の中で、

十分にその機会は与えられ、そして今もなお

経験しながら何度も気づいていく。

 

 

 

 

 

人の内側を耕してあげることなどできない。

目の前の人が「ありがとう」って言ってくれたなら

それはその人自身が、

キッカケはなんであれ、自分で自分の内側を耕したのだ。

 

自分の内側を耕して、そこに種を植えてあげること。

そうして、私の内側でしっかり健康的な芽が顔を出した時、

管理してあげるのは自分自身で

 

それ以上のことは、、背負わなくていい。

 

 

 

”変えられることと、変えられないこと”

 

 

 

これに気づく瞬間、身体も心も軽くなる。

実際に流れるエネルギーが変わるのだ。

 

 

 

 

さぁ、今日も新しく始めよう。

宇宙はこんなにもやさしいのだ。

ありがとう^^