AEKのひとりごと。 -2ページ目

 3月30日(土)午後5時30分頃、私の家のポストに、愛知ボランティアセンターからの「ニュース」(※1)が投げ込まれました。
 先々週の土曜日(3月16日)、大人(私)がいたにもかかわらず、呼び鈴も鳴らさずに玄関を素通りし、わざわざ遠回りをして、娘(小2)の部屋の窓から娘に直接声をかけて窓を開けさせ、娘に「ニュース」を手渡すという、警察官署への通報をされてもしかたのない行為があったことをツイートしましたが、今週は、約束どおり、ポストに入れていただきました。ただし、あの行為に対しての「謝罪」は、全くありませんでした。
 その「ニュース」ですが、今回の「ニュース」に書かれていることが、私のツイートでの批判に対する「反論」のようなものが書かれていました。私以外からも、様々な意見が寄せられていたのか、さまざまな「反論」が書かれています。
 Twitterでは(※2)、「感情的」な言葉でツイートすることも多く、ボランティア活動に携わる職業人として「失格」だなと感じておりましたので、落ち着いて考えてみることとし、Twitterではなく、ブログに載せることにしました。
 ボランティア活動全般の理論は専門家によって様々な研究がなされており、私のような者は意見を述べる立場にはありませんが、今回の震災での被災地域に対する支援活動(ここでは、被災者個人に対する支援活動は除きます)については、被災地域に居住し、今後も住み続けることを選択した者として、「支援する側」に対して意見を述べ、拒否したり、断罪したりすることができると思うのです。
 十八成浜でのボランティア活動の様子をご自身のツイートやブログで発表されている方(個人)もいらっしゃいますが、団体としての活動である以上、参加者個人の言動であっても、その団体が最終的に責任を問われるものだと考えます(※3)。
 ちなみに、私は、ボランティア活動を否定しているわけではありません。ただ、被災地域に住む者の一人として、迷惑なことはやめて欲しいだけです。
 地元の方に「そんなことを言ってるのはお前だけだ。せっかく遠くから来てくれているのに文句を言うな。屋根がある(家が流されずに残った)からといっていい気になるな」と言われたこともありますが、住民間の亀裂を広げるような言動は慎んでいただきたいのです。
 いただいた「ニュース」をスキャンしてアップすれば、記事と、私の意見との比較ができるとは思うのですが、個人名が記載されていることと、愛知ボランティアセンターの関係者のブログ等で記事の内容が読めるであろうとの判断から、今回はアップしません。


(※1)「ニュース」=愛知ボランティアセンターが十八成の全戸に配布しているという、活動内容などが書かれたもので、私がツイートで「チラシ」と呼んでいるものです。十八成に家があって被災された方でも、十八成以外の仮設住宅に入居されている場合には配られていないようですし、私の家にも毎週届られているわけではありません。また、愛知ボランティアセンターが発行しているものですから、十八成行政区(町内会)の公式な広報誌ではありません。

(※2)私は、支援活動やボランティア活動に対する批判や反論は、これまでは、Twitterでしか述べていませんでしたが、十八成浜でも光回線が開通し、私の家でも環境が整いましたので、これからは、さまざまなツールやメディアを通じて意見を発表していきたいと思っております。また、犯罪行為やマナー違反には厳正な態度で接していきたいと考えております。

(※3)私の経験でしかありませんが、ボランティア活動に参加する際には、必ずオリエンテーションが行われているはずです。そこでは、ボランティア活動を行うに際しての注意事項は、必ず伝えられているはずです。


「■」で始まる行は、愛知ボランティアセンターの「ニュース(3月30日)」の項目タイトルです。
「>」以降に、私の意見を書きます。




■2年たっても初めて被災地ボランティアをしたいと思う人は少なくないのです

>「参加費12,000円(庶民には決して安い金額ではない)を自己負担してでも、被災地に行かなければと思う(何かしなければと思っている、何かしたいと思っている)方が少なくない」とのことですが、「何かをしなければ」いう思いや「何かをしたい」という思いを持つことがボランティア活動を始めるきっかけであることが問題だと思うのです。
 「何かをしなければ」というのは、「義援金は、ちゃんと払いましたよ」と同じで、「義務」を表す言葉ですし、「何かをしたい」というのは、自分の「欲求」を表す言葉です。
 百歩譲って、被災地域に住む人間のためになることをしてくださるのだと考えても、心の中の「助けてあげなければ」とか「してあげなければ」という、「上から目線」であることには違いありません。それなら、いっそのこと「被災地を見てみたいんだ」とか「被災地の人の話を聞いてみたいんだ」とか「素敵な出会いがあるかも」とか「自分探し」など、素直な(裏の)理由の方が、支援を「受ける側」としては、救われます。その方が、人間として接してくれますから。
 それから、「○○でボランティア活動をしました」などと大々的に公表することは、ボランティア活動の趣旨から離れてしまっているという感じが否めません。


■被災地ボラセンの縮小で、多くのボランティアは活動場所を失ってしまいました

>「ボランティアの受け入れができていないために、ボランティアをしたくでもできない状況なのではないか」とのことについてです。政府でも「受援力」という言葉を使い、支援活動やボランティア活動を受け入れることの重要性を訴えています。たしかに、発災直後であれば、被災地域の人間だけであの状況を打破することは不可能でしたから、支援やボランティアを受け入れる力が必要です。しかし、「ボラセンが縮小されたからボランティア活動の場所を失った」というのは、ボランティアの原則である「自主性」と相反することではないでしょうか。「活動の場所がないなら自分で活動の場所を作る」といったことができない方は、本当のボランティアではなく、ただの「要員」でしかないと思います。
 日本では「自分で考える」教育が足りないため、誰かにお膳立てをしてもらわなければ動けない人間が増えているのではないでしょうか。団体のボランティア活動に参加するにしても、ボランティア活動に対する自分の考えを持っていないので、私の家に来たような厚顔無知の(全員ではありません)ボランティアが大量生産されてしまうのでしょう。
 「被災地ボラセンが縮小されたからボランティア活動ができない」というのは、理由にはなりません。


■一過性のボランティア活動ではむしろ被災者を傷つけてしまうこともあります

>今回の「ニュース」の中で、一番腑に落ちない文章です。
 「社会福祉協議会(社協)中心の活動だけでは長期間化する大勢の被災者へのきめ細やかな対応が困難」と書かれていますが、一過性のボランティア活動であっても「きめ細やかな対応」をしている団体や個人がたくさんいらっしゃいます。それに、ボランティアが減ったことだけで「風化」してしまったようにも書かれていますが、ボランティアの減少と風化を直結できるのでしょうか。瓦礫撤去のような大勢のボランティアが必要な活動が減っているために、ボランティアの数が減っているだけではないでしょうか。
 「一過性の活動は悪」という理論には、納得できません。長期間の活動を続けるほど、親しくなった被災者側に立ち、残りの被災者(私だけではありません)を傷つけることもあるのではないでしょうか。


■被災者、被災地域とのしっかりした関係を築くことが大切と考えています

>ここは、そのとおりだと思います。
 ただ、自分たちの活動の正当性を訴える文章の中で、他の団体(「あるNPO」との記載ですが)の中傷とも読める記載をするのは、いかがなものでしょうか。


■仮設住宅から「孤独死」を出さないお手伝いをと考えて始めた「くぐなり食堂」

>仮設住宅に限らず、「孤独死」「無縁死」は重要な問題です。これは、「行政がやれ」とか「民間がやれ」とか言っている場合ではありません。ただ、週に1回の「くぐなり食堂」で孤独死がなくなるような記載は、あまりにも大げさすぎませんか。
 「ニュース」を配ることで安否確認ができるとは思いますが、週に1度ですよ。それに、配達されていない家もありますよ。いかにも「全戸に毎週配っている」ような記載も、事実と異なると思いますよ。


■2年たって、くぐなり食堂はもう不要なのでは? いえ、本当に必要なのはこれからです

>「被災者ボランティアと介護ボランティアを区別する大きな意味はありません」と書かれていますが、これは、本当にそのとおりだと思います。十八成という地域特性は十分に理解されているようなので、ここの意見には賛同します。
 「孤独死をなくす」のではなく「孤立」を防ぐための「くぐなり食堂」なのであれば、2年たとうが10年たとうが、不要になるものではありません。
 ただし、「お弁当はいりません」とか「談話室には行きません」と断った家に、お弁当の受け取りを強要したり、無理矢理談話室に連れて行こうとするようなことはやめてください。
 蛇足ですが、「仮設住宅談話室の運営費に公費が使われていない」という記載は、事実と異なりますよ。


■大震災は人間関係も破壊しているのでは 関係の回復のお手伝いも必要と思います

>関係の回復は必要ですが、仲裁者として関わるのでなければ、絶対に関わらないでください。
 田舎の利害関係(経済的な関係だけでなく)は複雑です。ここに住み続ける覚悟がなければ、関わることは拒否します。余計にこじれます。
 「かまさねでけらいん」です。


■十八成で、深い信頼関係を築きつつあると思っています

>「傾聴ボランティア的な側面をも持っている」と書かれていますが、ただ話を聞くことと傾聴することを一緒にしないでください。「何かしなければ」程度の理由で、初めて参加するような学生ボランティアに、「傾聴」は無理です。まあ、その関係の勉強をしている学生なら別ですが。
 それよりも、初めて十八成に来た人が、お年寄りの言葉を全部理解できるとは思えませんけどね。
 ここでも、ある方の個人名(私も大変お世話になった方です)が書かれています。十八成の住民に配布するだけなら問題ないとは思いますが、それをネット上にも書ける神経を持っている方がボランティアとして来るわけですから、不安になる気持ちもわかっていただけるのではないでしょうか。
 まあ、有名になりたい方なら別ですけどね。


■くぐなり食堂の経験は、東海・東南海・何回三連動大地震で生かします

>「あっ、そう。結局、そのためだったのね。」と思いたくはないのですが、、、


 勝手な意見を書きましたが、私のような一個人の意見に反応していただき、感謝しております。団体の運営方針の再確認のお役に立てれば幸いです。




Ver 0.90

2013-03-31 01:00
de JI7AEK