(「マリー・ラテイストの作品」より)
(第5巻「宗教全般、特にキリスト教について」第2章)
別の日、イエスは更にこう言われました
「人間には宗教が必要であり、そして真の宗教を持つことが必要です
宗教のない人間は人間ではありません
人であるとは、どういうことでしょうか?
それは肉体と理性的な魂を持って生きることであり、すべての物との関係において、その存在として固有の義務を果たすことです
さて、人間が最初に果たさなければならない義務とはなんでしょうか?
それは自分に存在、命、行動、理性など、すべてを授けてくださった方に対する義務です
それは創造主であり、恩人である神に対する義務です
神に対する義務を果たさないということは、神から自分を切り離し、もはや神と結びつかないということであり、神を否定するということです
なぜなら、人間は神と一つになって生きるため、神に属するため、神に仕えるために創られたからです
ですから、そのように行動しないなら、自分自身の目的を見失い、人間らしくなくなり、最も下等で最低の存在となり、神に対して最も邪悪で有害な態度を取ることになります
人間の第二の義務とは何でしょうか?
それは自分自身への義務です
宗教を持たない人間は、自分自身への義務を果たしません
その人は神に感謝せず、神の祝福を受けようとせず、永遠の(いのちの)ために働かず、自分の魂を徳によって飾らず、自分の欲望に抵抗せず、救いの道を歩まず、永遠の呪いに向かって歩んでいるのです
宗教のない人間は人間ではありません
その人は自分の人生を完成させるために生きているのではなく、永遠に破壊するために生きているのです
人間の第三の義務とは何でしょうか?
隣人に対する義務です
宗教を持たない人間は、社会に対する義務を避けようとします
その人は思いやりによって左右されないでしょうか?
ーいいえ
その人は正義のために行動しないでしょうか?
ーいいえ
その人は人を欺き、自分勝手に行動し、仲間たちから離れます
宗教のない人間は、人間ではありません
なぜなら、人間は社会の中で生きるようにできており、宗教を持たない人間は、社会を維持し、活性化するどころか、社会を破壊してしまうからです
そうです、わたしの娘よ
人はむなしく、無宗教な人間は高潔であり、公正であり、慈善的であり、善良であると思い込み、それを周りの人にも信じさせようとしているのです
そうではなく、宗教こそがこれらの特に力を与えるのです
そして宗教のないところには、たいてい欺瞞と自己中心、そして嘘しかないのです
娘よ
宗教は社会の唯一の、そして真の絆であり、目に見えるだけではなく、目に見えないものでもあります
それは、わたし聖霊との一致のうちに父なる神と社会生活を営んでいるのと同じ神との絆です
そして人間と天使をつなぐ存在であり、人間の奉仕と幸福のための神の聖職者とのつなぐものであり、地上の人間と人間を結ぶものです
その社会は永遠に続き、その3つの社会は1つになって、創造主と被造物との社会になるのです
その社会を実現するためには宗教が必要です
このことから、宗教がいかに大切であるかがわかるでしょう
そしてその必要性は、宗教に関して神が人間に行なわれることを見れば、さらによく理解することができるでしょう
神は宗教が、神ご自身によって定められた義務を果たすことだけのものになるのを望んでおられるわけではありません
神は宗教を、人間が宗教的な義務を果たしたいと願う心の動き、魂の習慣とすることを望まれたのです
この習慣、この心の傾き、この宗教の徳は、聖化の恵みと共にすべての魂に与えられています
そしてそれが神に対する義務の実行を容易にし、聖化の恵みと同じくらいその人の中に残り、その人と共に成長し、減少し、あるいは消えていきます
そしてこの同じ恵みが戻ってくることによって、再び増加し、成長し、そして発展し続けるのです