主が私の胸に休んでおられるのを見ました | カトリックの神秘

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(大聖ジェルトルードの「啓示の書」より)

 

 

(第2巻14章/憐れみの大切さ)

 

 

1 四旬節の前の日曜日、ごミサで「Esto mihi in Deum protectorem(私を守られる神よ、どうか避難所となってください)」が歌われていたとき、多くの人々から暴虐と侮辱を受けられたあなたは、この入祭唱の表現を使って、私の心の中に庇護を求めておられることを理解させてくださいました

それから3日のあいだ、主は(ご聖体によって)私の魂の中に降りて来られるたびに、まるで貧しい病人のように私の胸にそっと身を寄せかけて休んでおられるのを見ました

 

2 この3日間(※)私はあなたを安心させるために、そしてあなたへの愛のために、この世の精神に流されている人々を回心させるために祈りと沈黙と苦行に身を捧げる以外の方法を見つけることはできませんでした

 

 

(※)四旬節の灰の水曜日前の3日間のカーニバルの期間は、暴飲暴食や過度の飲酒、乱痴気騒ぎなどで多くの罪が犯されていた

 

 

   

 

 

 

 

 


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