真の奉献とは自分の意志を犠牲にし続けることです | カトリックの神秘

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(神のはしためルイサ・ピッカレータの「天国の書」第6巻より)

 

 

真の奉献とは自分の意志を犠牲にし続けることであり、それは魂が神のために行なう継続的な殉教です

 

 

(1904年9月13日)

 

私がいつもの状態で非常に苦しんだ後、主は私の心臓を両手に持って現れ、私を見つめながらこう言われました

 

「わたしの娘よ

魂がわたしに自分の意志を与えた時、その人にはもはや自分の好きなことをする自由はありません

そうでなければ、それは真の奉献ではありません

そうでなければ、それは真の自己贈与ではありません

真の奉献とは、自分の意志を、それを与えた相手のために絶えず犠牲にし続けるということです

それは魂が神のために行なう、継続的な(神に対する)注意の殉教なのです

もし、今日はどんな苦しみにも身を捧げますが、明日にはそれを止めてしまう殉教者がいたとしたら、あなたはどう思いますか?

その人は殉教に対する真の心構えを持っておらず、いつかは自分の信仰を否定するようになるのではないでしょうか

ですから、わたしは自分の意志をわたしの思う通りにさせず、今はそれをわたしに与えますが、後には自分に取り戻そうとする魂にこう言うでしょう

『娘よ、あなたはわたしのために自分を犠牲にし、殉教する気がないようです

なぜなら真の殉教とは、継続することにあるからです

そしてある日突然、あなたはわたしから離れ、すべてを子どもの遊びのように変えてしまうかもしれません』

ですから、気を付けていなさい

そして、あなたたちを、わたしが最も望むようにすることができるように、わたしに完全に自由にさせるようにさせなさい」

 

 

 

 

 

 

 


 

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