小さきテレーズの列福調査における証言/三位一体のマリー修女① | カトリックの神秘

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(小さきテレーズの列福調査における三位一体のマリー修女の証言)

 

※この列福調査における証言は質問に対して答える質疑応答形式になっており、ひとりの証言者に対して30の質問がなされました

(このブログでは質問の言葉は省いて、証言者がテレーズについて直接証言していることのみを書き記していきます)

 

 

三位一体のマリー修女のは1911年3月13日から15日にかけて証言を行ないました

(公開セッション64:/1911年3月13日、午前8時30分と午後2時)

 

「私の名前はマリー・ルイーズ・カステルです。

修道名は三位一体と聖なるみ顔のマリー修女です。

私は1874年8月12日、ヴィクトル・カステルとレオンヌ・ルコントの正式な結婚の下に、サン・ピエール・シュル・ダイブ(バイユー教区)で生まれました。

私は1894年6月16日に入会し、1896年4月30日に誓願を立てたリジューのカルメル会修道院の修道女です。

 

私は個人的に彼女(テレーズ)の生涯の最後の3年間、つまり私がリジューのカルメル会に入会した時から1897年まで神のはしため(テレーズ)を知っていました。

彼女は「天使」(志願者に修道生活のことについて教える係)として私に与えられたので、私たちの関係は非常に近しいものでした。

彼女の助言は私を非常に助け、私は彼女と会話することを求めました。

彼女は私に対してとても親切で、彼女と私は非常に良い親交関係にありました。

今回の証言に備えて,私はこの3年間の個人的な思い出について色々考えました

神のはしためが霊的生活の多くのことを私と共有してくれたので、「魂の物語」を読むことよっては私は(それ以上に)何も知ることはありませんでした。

 

私は幼きイエスのテレーズ修女に対して非常に大きな信心を持っています。

私のこの信心は彼女の神聖さにおける結果です。

私は彼女が単純な魂の模範となり、彼女が神を深く知っており、神に愛されることを確信しているので、彼女が列聖されることを願っています。

:

私はカルメル会修道院に入るまでの彼女の修道生活については何も知りません。

 

私が1894年にカルメル会修道院に入ったとき,幼きイエスのテレーズ修女はすでに修道生活4年目を迎えた修道女でした。

しかし、彼女は聖なる会則の要求に従い、会則が厳密に適用された修練院に残っていました。(当時は同じ家族の者が2名以上集会に入ることは許されていなかったのでテレーズは集会員になることができず、修練院に留め置かれていた)

当時の院長だったイエスのアニエス修母は、神のはしため(テレーズ)の模範と助言が私にとって非常に役に立つことを知っておられたので、私たち(当時修練院にいた数人の姉妹たち)の欠点を直すためにも(テレーズ)に私たちを導く任務を与えました。

修練長の称号は、前院長であるゴンザカのマリー修母に与えられていました。

1896年に院長に再選されたゴンザカのマリー修母は続けて(院長であるとともに)修練長も兼任し、修練女を教育する際の助手としての役割(と実質的なすべての権限)を幼きイエスのテレーズに任せました

 

私は神のはしため(テレーズ)が従順によって「魂の物語」を書いたことを知りませんでした。

私が知っていた彼女の作品は、彼女が私たちのお祝い日のために書いてくれた詩と短い演劇のシナリオだけでした。

彼女が死んだあと「魂の物語」を読んで、私はこの本が彼女が私に言っていたことと、彼女の人生についての私の個人的な見解とどれほど完全に一致しているかを知って心を打たれました。

 

私は彼女の英雄的な徳についてはあまり深く考えてことがなかったので、私はそれについて説明することはできません。

しかし私はそれを説明できなくても、理解していると思います。

彼女は通常の限界を超えて徳を実践していました

テレーズ修女の聖性は,熱心な修道女の中でも最も熱烈な人にさえ見られるものを遥かに超えていたと心から感じています。

今の(世間の)人たちや彼女の血の繋がった姉妹たちでさえ、彼女について言っていることは、私からするとかなりの過小評価のように見えます。

彼女は私の欠点を訂正する役割を持っていたので、私は自分自身を安心させるために彼女の不完全さを見つけようとしました。

しかし私は決してそれに成功しませんでした」

 

 

三位一体のマリー修女

 

 

 

 

 

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