《聖テトスがマリー・ジュリー・ジャヘニーに現れ、彼の使徒としての生涯を教える。人は十字架を通して、試練、苦しみ、迫害によってのみ聖化される》
(1878年7月8日マリー・ジュリー・ジャヘニーへの聖テトスのメッセージ)
:
(聖テトス)「私は聖テトス、偉大なる聖パウロの弟子です.
私はあなたが聖なる修練所に入る前に、一言話しに来ました(すなわち十字架の愛の修練所、マリー・ジュリー・ジャヘニーに託される使命について)。
私はこの地上の至る所で、迫害と殉教に苦しみました。
私は偉大な聖パウロに導かれていました。
そして33年のあいだ砂漠に住んでいました。
私はこの恐ろしい孤独に私を導いた道をたどるために、自分の後ろにすべてを残し、早くに出発しました。
しかし砂漠の孤独の中にいるからといって、世間の中に住んでいるときのような苦しみや試練を免除されることはありませんでした。
わたしは偉大なる聖パウロの口述の下で聖なる福音の教えを説きました。
私はあちこちの都市や町を訪れました。
私は神のみ言葉を人々に宣べ伝えました。
私は神のみ言葉を地獄の言葉のように感じた頑固な人たちから石を投げられ、殴られ、追い回されました。
私は貧しくお金もなく、ボロボロの服を着て、ただ十字架だけで武装して仲間たちと共にこの地上に住んでいました
しかしそれらはすべて、私の富であり宝でした
私は従順によって、偉大な聖パウロが私の意志を要求したすべてのことを受け入れました。
私が神のみ言葉を発表したのは、彼の説教が終わってからでした。
彼は毎日、私たちを集め、私たちに神の偉大な教義を教えてくれました。
世界中を旅して福音を説いた後、私は突然、孤独と福音の教えを書き残すように、というインスピレーションを感じました
私は偉大なる聖パウロに相談しました
しかし彼は
「いいえ、弟子たちは聖なるキリスト教の教えを説かなければなりません!」
と言いました
私は聖パウロに従いました
そして聖パウロは彼自身が長い間説教していたルシフェリアン(すなわち、サタンの影響を受けた人々)たちの真っ只中に私を送りました。
私は彼らにイエス・キリストの十字架の愛を説きました。
しかし、私は非難と侮辱だけを受けました。
私は昼も夜も(町の)通りにとどまり、私たちに対して恐怖心を持っている人々に説教しました
私は神の教えは愚かである、と、彼らから繰り返し言われました。
私は苦しみました
私はすべての苦しみに耐えましたが、私はその苦しみを避けようとしませんでした
私が神に対する大きいなる完全な愛を得たのは、私が最後の年のあいだ、大いなる無数の矛盾にさらされていた時でした。
神はその後、私の心にあらゆる種類の恵みを注がれ、神は究極の秘密を私をに教えてくださいました
その間、私は自分の使命の重さをますます感じ、それは私を圧倒しました。
私はもうそこに味わいを見つけることができませんでした。(すなわち、その使命は不愉快なものでした)私にとって喜びよりも、苦しみがあまりにも多かったのです。
ルシフェリアンたちのところを去る時、私は
「福音と十字架の説教をすることをやめなさい。
あなたは今以上に頑固な人たちに説教することになるでしょう」という声を3回聞きました。
これは私を非常に恐れさせ、私の魂の最も深い部分を揺さぶりました。
私は再び聖パウロに相談しました:
「じっとしていなさい」
彼は言いました。
「まだ時はきていません。あなたは苦しみを味わい始めたばかりです」
私は神だけが知っておられたことを恐れて苦しんでしました
それでも私は聖パウロの命令に従い,神と福音、十字架に敵対している別の都市に乗り出しました。
街に入ると、私は前に話しかけてきたのと同じ声をもう一度聞きました。
この神の声が私を悩ませました
私は歩道に額を擦り付け、神に悟りを求めました。
そのとき私は手に白い旗を持ち、白い服を着た天使を見ました
天使は私に金の文字によって書かれた本を見せました
「あなたはこの頑固な人々に神と十字架の教義についてもう十分に説教しました、
あなたは司教になり、最初の頃のように別の異教徒たちに説教します」
この言葉を読んだとき、私の心は落ち着き、安心感を取り戻しました。
光は、神がこの場所に私を呼んでおられたことを示していました。
私は再び聖パウロに相談しました
すると彼はこう答えました:
「私もおなじ頃にあなたとおなじ示現を見ました。
この野生的な頑固な人々の真ん中に、十字架の光を差し込ませるのです。」
私は禁欲的な隠者である聖シャフレがやって来たアフラ(クレタ島)に住んでいました。
この人口の多い都市の中で、私は大きな障害に出会いました。
私は高齢になってからこの街の司教にを選出され、19年10ヶ月そこに住んで仕事をしていました
私はこの街で大きな迫害を受け、人々から罵倒されました。
私が説教している間、人々は私に対して毎日つぶやき、呪いを浴びせました。
しばらくのあいだ神はこの恩知らずな街に対する罰を留保しておられましたが、やがて多くの疫病をこの街に送られ、人口のほとんどが死に絶えました。
さらにその街には別の敵が存在していました
それは私の兄弟たちで、彼らは私を見捨てて孤独にし、私を乞食と呼びました(※つまり彼は仲間の司祭たちからさえ迫害されたことがある)。
しかし神は私の聖性が人々に知られ、輝くことを許されました。
神における私の主要な兄弟たちのほとんどが、盲目になったり,身体の障害を持つようになりました。
そうした苦しみの数々が私の兄弟たちを襲った後、神は彼らを救うために私を送られました
そして私は迫害者たちに唾液を塗って彼らの目を開き、麻痺した手足を治しました。
このようにして、私は神だけに知られていたこの試練を終わらせたのです。
これらの奇跡の後、私は神と十字架の教えを説き、多くの人々を改宗させ、それから神のみもとに召され、この街に葬られました
(聖テトスの教訓)
「人間からの迫害ほど、主である神の模範に従うものありません。
それによって私は全てを得、神の完全な高さへと引き上げられました。
私の人生は神への喜びに満ちていたにもかかわらず、それは酢と胆汁ばかりでした。
神は私を内なる試練と外部的なの苦しみによって殉教者にしてくださいました
そして十字架の恵みを通して私は地上から切り離され、完成されました..」
聖テトス