プロ野球に今中慎二さんという投手が2000年頃に活躍されていて、

投げては150km近くのストレートと100km前後のフォークやカーブ、80km前後のスローカーブを駆使し、その球速差は最大70km前後にも及んだ。

今中投手の最大の武器は左投げからの150km近い渾身のストレート。

そしてその武器を最大に活かすことが出来たのは、一見全く同じフォームから繰り出される球速差70kmに及ぶスローカーブであり、

常に相手打者は2つ以上の選択肢に迫られ、的を絞ることができない。

其れが今中投手の生命線であり、沢村賞を獲得される程の名選手へとなった根拠だと、僕は分析するのです。


そして面白いのはここからで、今中投手と野球との出逢いは、決して一目惚れや相思相愛ではなかった。

グローブも左用ならあるという特殊な環境から、ドッチボールでも右でも左でも苦にしなかったことから、
 
当時右利きだった今中さんは左利きになったことで投手としてチームから重宝され、早い段階でレギュラーだったり、投手として重宝された。

 
中学でも硬式ボールであることから練習環境にも恵まれず、軟式球場で人の目を盗んでは行い、人が通ると練習を止める日常だった。


中学迄は戦績も特にパッとせず、高校でも父からの縁で当時はまだそれほど有名でなかった現大阪桐蔭高校へ進んだ。

その際にもスカウトの声に対して「正直、興味ない」という物怖じしない性格が、逆に合格へと繋がり、

子供の時から巨人戦のせいで好きなテレビが観れなかったことから、巨人が大嫌いだった少年の運命は、

皮肉にも野球にそれ程興味なかったことと裏腹に、【左投げであったこと】が尽く幸いとなり、大きく変わってゆく。


そんな彼の人生は気がつけばプロ野球選手となり、入団早々に骨折で離脱したことが幸いとなり、唯一腕の痛みを感じなかったカーブでの投げ込みの繰り返しが、結果として彼のもう一つの代名詞となるスローカーブを磨いてゆく結果となってゆく。

そして唯一無二の左投手としての頭角を、メキメキと現してゆかれたのです。


こうして人生を一つの終わりから眺めてみると、もし彼が右投げのままだったら、彼の人生には全く別の道があったのかもしれない。

本人も仰っておられますが、

【途中から左投げであったから】こそ彼の人生は次々と好転され、

あの時の左用のグローブとの出逢いこそが運命の出逢いだったかと思うと、人生ってつくづく浪漫に溢れていると、僕は思うのです♡
  

そういう意味では我々一人一人の人生もまた、きっと浪漫溢れる人生なんだと、僕は感じるのです♡


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そういう意味では、トルネード投法で席巻されたこちら野茂投手もとっても偉大な御方だと、僕は思います。 

当時社会人野球からプロ入りされ、近鉄バッファローズへ入団。  

入団時に当時の仰木監督時代での【自らのフォームを一切弄らない】という約束も、次の新監督から呆気なく破られ、当時での何の根拠もない昔からの精神論や根性論に壊されそうになり、

【このままでは自らの野球人生を貫けない】と判断された野茂選手は、多くの球団関係者や世の中を敵に回し、一人メジャリーグへの門を叩かれました。


ところが入団した大谷翔平選手と同じドジャースで一世風靡を起こし大活躍すると、マスコミや世間の目も掌を返したかのように、是迄とは180度変わられました。

そして2度にわたるノーヒットノーランも達成され、僕は彼こそ時代のパイオニア的存在だったと思うのです。

野茂選手が先立ってそんな軌跡を敷いてくれたからこそ、

後に続かれたイチロー選手や松井選手、ダルビッシュ選手や大谷翔平選手の現在がおられ、

メディア対応や移籍に対する彼等の負担もまた、相当軽減されたはずではないでしょうか。


是は僕一個人の意見と判断に過ぎませんが、

野茂選手もまた、国民栄誉賞に相当すると思うのです。


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今や球界を代表され、世界を代表される程になられた大谷翔平選手。

彼の活躍は何処まで続くが分かりかねますが、

現在のように全てを野球に注がれておられ、

昇り続ける評価とは裏腹に、何処までも謙虚さや慎ましさを継続される内は、彼の進化に上限はないと思われます。
 
そして然るべき時が訪れ、現役選手として引退されたとしても、

彼が真に稼ぎ続けている【魂の慎ましさ】を磨かれた程に、彼の打ち立てられた金字塔は限りなく輝き続け、

何れ自らを追い越してゆく未来の選手に対しても、彼は心から祝福され、リスペクトされることでしょう♡

マルティネスさんやオルティズさん、日本では落合博満さんのように、本当の強きものや化物のような成績を収めた方達こそ、損得勘定に惑わされない評価をできるからであり、

本当に強きものだけが、それを実行できるからです♡


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そんな中で、ここからが僕の中での本題です。




現在においてもその豪快な一発で、状況や試合展開を変えたりできる中田翔選手。

彼が日本ハム時代の時に大谷選手と共に過ごしたことで、中田選手は大谷選手の余りの才能に絶望され、普段にコツコツ練習することが馬鹿らしく感じられたそうです。

僕はこのエピソードを耳にしたとき、息子との過去が蘇りましたね。


感じたものこそが現在におけるあなたの魂の現在地への全てであり、

超えられることを素直に認められないのは、あなたが何かに驕られ、弱者としての自分、皆さんのお陰であった事実を、一時とはいえお忘れになられたからです。


だからこそこの世界の秩序を保たれる神様。
 
幾何学的秩序は、その対象に対して命の立場を入れ替えられ、魂の慎ましさを改めて思い出せるように現実を組み替えられるのです。


中田選手が味わった絶望と屈辱は、是迄にあなた様がライバル達へ感じさせてきた絶望と屈辱。

あなた様の築かれた是迄の栄光の日々は、そんな彼等の尊き命の代償の上でもあったのです。

いつしかあなた様はその才能に溺れ、命に対して年々傲慢になられました。

そして常に見逃されてきた神様の逆鱗に触れ、あなたの前に大谷選手が現れ、まるで立ち塞がるように敵わない存在として感じられたのです。


大谷翔平選手は、あなた様の前でもこう仰られましたね。

「今のままでは(遊びたいからと夜に遊んでいては)絶対に強くなれないから、プロとしてすべき事にエネルギーを注がないと勝てない。」って。

誰よりも必要なことだけに一日の全てのエネルギーを注いできた大谷選手だからこそ、

野球以外にエネルギーを分散される限り、伸びしろは止まってしまうことを、

野球以外での時間の過ごし方が常に大事であり、それが決定的な結果へと繋がり問われていることを、

彼だけは世界レベルの基準で物事が視えておられていたのです。

中田選手の普段での命への粗暴と成長の止まりは密接に繋がっていることを、分かる方には分かってしまっていたのです。

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僕の息子も、実は中田選手と同じ一面がありました。

小学5年の秋から誰にも負けない程に野球の進歩に精進され、息子はあっという間に同級生達をごぼう抜きされ、まるでスターダムのように栄光を駆け上がりました。

ところが高校から実力の壁に打ち負け、本来の未熟だった精神面の幼さが露呈し、半年リードしていた技術の貯金も遣い果し、大きな絶望と挫折に苦しまれました。 


僕にはそれでも息子は十分に立派で、最初からずっと立派だったので、その絶望や挫折すらも少しも恥ではないと思っておりました。


自分の限界は自分が一番識っており、

自分の才能に蓋をするのも、全て自分に過ぎず、

息子は少し驕ってしまっただけであり、その驕りが何から来るのかといえば、世の中や物事をまだ識らないに過ぎないからです。

また同じ一人間として何一つ恥ずかしいことではなく、僕もまた同じように通ってきた道に過ぎないからです。


新しく入ってきた後輩達にいつの間にか追い越され、気づけば指導者からの信頼も失い、心身共に打ちのめされ、すっかり自信を失った息子。


しかしここだけは息子の領分なので、再び自らの意思で立ち上がり、自らの意思で歩を進めるしかありません。

僕には適切な距離で寄り添い、支えとなる言葉を投げかけるくらいです。


そんな中で、息子はこう正直に想いを話してくださいました。

どんなに頑張っても、監督やコーチが教えてくれないんだと。
 
余程普段から悔しさや苦しみを堪えられ、踏ん張ってこられたのでしょうね。

涙を流して訴えるその言葉には、息子なりの真剣が宿っておりました。


そんな息子に対し、僕は違う角度で話を切り開きます。


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悔しいよね。

大好きな野球だけに毎日打ち込んできたからこそ、レギュラーから外されたことは、喩えようもないくらいに悔しいよね。

でもね、拓ちゃん。

もう一度冷静に振り返ってごらん。

お父さんは、拓ちゃんは恵まれている方だと思うなぁ。

中学2年で県北大会を優勝した時もそう。

同級生の殆どがベンチでの応援やサポートに回る中で、拓ちゃんはずっとレギュラーで活躍して、栄光や日の目を見てきた。

県北選抜チームや最後の年でもそう。
 
拓ちゃんと同じように疲れた中で毎日汚れたユニフォームを洗い、朝早くからお弁当を作り、応援に駆けつけてくださってるお母さん達もそう。

全てのお母さん達が自分の息子の活躍や楽しそうな様子を一目見たい一心で、一日一日を懸命に頑張ってた。

拓ちゃんがレギュラーとして毎回活躍する中で、ベンチで控えとして堪えてた同級生達や後輩達だけでなく、彼等のお母さん達もきっとその悔しさをずっと堪えてたと思うんだよね。

高校でもそう。

拓ちゃんは入学当初から監督に見込まれ、Aチーム帯同としていつも華やかな場所でプレーして、100人近い部員の中で常にチャンスを貰い、栄光の中にいたね。

拓ちゃんがAチームに選ばれたことで、Aチームから出された先輩も必ず居たわけで、

その先輩やお母さんも、内心では今の拓ちゃんと同じ悔しさ、苦しみ、涙を陰で流していたはずなんだ。


現在の高校でもそう。 

そんな恵まれた拓ちゃんと違って、中には最初から自らの実力、力量を察して、早い段階からチームのサポート側として貢献してる同級生もいるよね。

拓ちゃんと同じで、中学迄は何処かのエースだったり、四番打者だったりと自信満々や希望に溢れていたのにもかかわらずね。

彼等だって、決して最初からそうしたかった訳じゃない。

けどきっと彼等なりに野球が大好きで、大好きな野球に関わってゆきたいと、彼等なりに本能的に察して導いた、潔い大人の判断と結論なんだと思う。

 
気づけば小学校からの拓ちゃんの目覚ましい活躍の背景には、そんな悔しさを味わっていた人達が常にいたことを、どうかもう一度冷静に考えて欲しい。


悔しくて泣きたいのは、

悲しくて泣いてきたのは、決して拓ちゃんだけではないとお父さんは思うなぁ。

そこだけはどうか気づいて欲しいです。


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勝負の世界におられる以上、是迄に抜かしてきたのも実力ならば、今回抜かされたのもまた実力。

そして其処には必ず相応の根拠があり、相応の理由がある。

その事実の結論へと何れきっと考えが及ぶと信じ、

そんなことを、僕は息子に話した次第です。


少なからず息子の中にも人間としての傲慢や驕りがあって、その内側には激しいものが黙っていたのを僕は察しておりました。

そしてこの日が訪れるのを、日々の生活や練習を観ていれば、ある程度予想ができておりました。

しかしそれと同時に、今後の息子の成長にとっての大切な登竜門でもあったからです。

高校野球において決定的に差が出るのは、何と言っても日々の人間力であり、自らの頭で考え抜く質の高い日々の個人練習です。
 
その質の高い日々の前では、中学での如何なる栄光など、何の足しにもならないのです。


だからこそ中学時代において僕が最後にトレーニングを促したのも、自分で考えて練習メニューを決めたり、自分の力で根拠を探せる内容であり、来る高校ステージに向けての【人間力向上】こそが最大のテーマだったのです。


そしてそれから程なくして、息子は自らの足で立ち上がり、再び野球への精進へ歩を進め、3年生の夏に見事ベンチ入りを果たされ、入学時とは一回りも二回りも心身を成長されました。

僕はそんな息子を心から尊敬し、ずっと立派だと称賛しております♡

根性無しの父親と違い、とっても立派で自慢の息子です♡


人間として生きている限り、

命として生きている限り、

命への日々を驕り、慎ましさを忘れた者は、あらゆる存在でも等しく立場が入れ替わり、もう一方での苦しみの人生を矛盾に味わうものです。

命への日々を遜り、慎ましさを覚えている者も、あらゆる存在でも等しく立場が入れ替わり、もう一方での喜びの人生を2倍に、3倍に膨らんで味わうものです。


つまり鏡の法則とは、命の法則であり、

自らの命としての振る舞いの明確な答え合わせを、

振る舞う側、振る舞われた側として永遠に受け取り続けるのです♡


拠って同じ振る舞うならば、命に対して慎ましく、爽やかに振る舞った方がいいのは明白でありますが、

同時にそれがなかなか出来ないのが人間としての面白さであり、生きる楽しさかなって思います♡


我々の住むこの世界空間を支配する神様。

一つの法則性である幾何学的秩序の視えぬ実体は、

僕の推察通りであれば、其れは普段の自分の鏡。


我々一人一人の命は、永遠に自らの行いの質を何処までも正確に受け取り続ける♡

僕が息子へそれとなくお伝えした、鏡の法則の一番美味しい部分です♡


ー雲奏ー