こんにちは
昨日は震災から25年でした。
あの日、私はまだ独身で実家暮らし。
自分の部屋の布団の中で眠ってた。
揺れて目が覚めたけど、いつも感じる揺れより
少し強いなと震度3くらいだろうかとまた
眠りに落ちた。
私が寝てすぐに父が私の部屋に入ってきてテレビをつけたらしい。地震情報を見るためだった。
寒さで私の布団に足だけ入れてたらしい。
私は全く起きなかったそうだ。
後から聞いて少し複雑な思いをしたけれど。
いつも通りの時間に目覚まし時計が鳴り
布団から出て一階に下りていくと、
母が台所でガチャガチャと食器を片付けていた。
食器棚の中で揺れた食器が扉との隙間に落ちていくつか割れていたというのだ。
父はテレビを見ながら
「えらい事や」と言い、電話をかけ始めた。
「繋がらへん」淡路島の親戚にかけてもかけても
話し中になっていた。
テレビの画面からは高速道路が倒れ白い煙があちこちから登っている映像が流れていた。
道路や街が灰色で、消防の赤が鮮明に見えた。
ものすごく怖くなった。
「とにかく会社に行ってくる」と
家を出て会社に到着。幸い会社は何ともなく、建物などに被害も出ていなかった。
しかし、兵庫に住む人たちが来ていない。
本人たちからの連絡もない。
こちらからも連絡が取れない。
どんどんわかってくる地震の情報に焦りや不安の色が隠せなかった。今まで経験した事のない怖さに、自分が出来る事のなさにただただ無事を祈る事しか出来なかった。
あの時は、家族に守られていた。
彼氏(のちの旦那)もいたけれど、
やはり帰る場所は実家だし、行動を共にするのは父と母だった。弟も寮から戻って来た。
今、25年経って、子供たちがいる。父と母がいる。
それぞれにどこで被災するかわからない。
でも帰ってくる家はここしかない。
安否を気遣う私が守るべき家族だ。
今は一日が無事に過ごせるように、
毎日祈らずにはいられない。
地震を防ぐ事は出来ないけれど、
どうやって備えるか、どう行動するかは
考えられる。
改めて家族揃って、いろんなシュミレーションで
どうやって連絡を取るか、どうやって家にたどり着くか、一人一人が考えないといけないと思った。
非常持ち出しの荷物は用意しているけど、家にいるとは限らないし。
この家の中で地震に遭いたくないと娘が言った。
食器棚などは転倒防止をしているけれど、とにかく物が多いのでそれが全部散らかるから怖いと言う。
・・・家の中の片付けも防災対策だね。