物理学の学究の徒で、熱心な自作派のOMさんとのQSO中に、「これから『スター・トレック イントゥ・ダークネス』という映画を観に行く」・・・話を聞いて、それまで感じていたOMさんへの印象とのギャップに少々戸惑っていた。更に伺っていると、面白い話を聞くことができたので、ブログにアップしました。
 
OMさんの話は、米ソの宇宙開発競争に始まった。WW2、朝鮮戦争による軍需景気が一段落してから、米ソの冷戦時代になって、軍事転用を意識した宇宙開発競争が始まった。WW2でドイツのロケット技術者を大量に取り込んだ経緯もあったが、宇宙開発ではスプートニクから、常にソ連が一歩リードしていた。
 
このことで米国民の中で「USA As No1」という意識が、徐々に揺らぎ始めていた。このことは若者たちの科学離れを加速して、華やかな職業に目移りしていったようだ。
そこで米政府は、若者たちに、教育を通して「科学への関心」を高める政策を取ったようだ。OMさんによると、この時期に、「テレビ番組の『スタートレック』が作られ、少年たちの心をとらえた」・・・ようだ。
 
その後の米国映画では、ヒーローの科学者が活躍する場面が多く、国民の中に「科学者」に対する憧れと尊敬が次第に広がっていったようです。当局の見た映画でも、「インデペンデンス・デー」、「マイノリティ・レポート」など科学者ヒーロー物、電気技師の「未知との遭遇」などをすぐに思い出しました。
 
やがて、アメリカはアポロ計画で月面に人類の足跡を残して、大いに威信を回復したと言われている。このときの少年達を「ガンダム世代」というようだが、「ガンダム世代は、火星探査ボイジャーを始めとして宇宙科学の中で貢献している」・・・とのことであった。
あのアイディア溢れる「火星探索車」を思い起こせば、ガンダム世代は納得ですね。
 
科学立国、技術大国などと豪語してきた日本でも、同じように「子供たちの理科離れ」が深刻だと言われている。先輩、同輩世代の方々たちが築き上げてきたテクノロジーは、グローバル経済の美名のもとに世界に四散し、新たな知恵を生む原動力となる若者たちからも、地味で富を生むことが少ない科学研究分野が敬遠がちになっている。
 
かつてアマチュア無線は、科学への入り口として大きな役割を果たしてきた・・と言えよう。少年少女たちが、ハムに憧れたのは、別に「電話ゴッコ」をするためだけではないだろう。アマチュア無線の向こう側に広がる地球規模の交流や未知なる科学や技術への憧れではないだろうか。
 
本来、理科、科学へのイントロダクションを受け持つべきアマチュ無線が、所轄行政庁は省益と利権にしがみつき、ハム自身が生み育てた業界は何時か損得勘定だけに固執し、ハムの代弁者であるはずのJARLも向くべき方向を誤って迷走し続ける。
 
回りの大人たちだけが喜ぶ小手先の工作教室、養成講習会制度や国家試験受験料の助成、学校クラブ局への助成金など、大人たちの喜ぶ制度をやったって、少年少女に然したる影響はないだろう。
 
誰でもやったことだろうが、当局は少年時代に自ら部品を買いに行って並三ラジオを組み立てたり、ほとんど意味不明な「マイクロ波と導波管」などという技術書を古書店から買ってきて図柄だけ眺めていた。
左様に、大人のお仕着せでなければ、子供たちは大人が考える以上に想像力があり、好奇心にあふれていて、実行力もあると思う。
 
当局が、中学3年生(昭和39年)の時に友人と二人だけで、高校受験そっちのけで作った、手作りゴーカートの写真が出てきましたので、ついでにアップします。材木屋さんからラワンの端材を貰い、クズヤさんからジャンクをかき集めて、毎日、遅くまで学校に残って技術家庭科にある旋盤、ボール盤、木工工作機械を自由に使い、構想から1年がかりで作ったものです。溶接だけは鉄工所にやってもらいました。
 
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今では学校の規則で、毎日遅くまで居残りすることは許されないだろうし、校庭を縦横無尽に走り回ることなど考えられないだろう。それが現代の教育システムなんですね。
完成して学校のグランドを走らせてると、何人もの先生たちが出てきて「俺にも乗せろ」と、生徒たちの列に交じって順番に並んでいたぐらいです。
 
前提となる大きなテーマだけあって、あとは自由な発想で・・・という、ロボコン、ソーラーカーレースなどに没頭する高校生、大学生を見れば、少年少女に何が必要か見てきますよね。
 
自分の考えで受信機、送信機の部品を一つずつ集めて、火傷しながら組み立てて、更に乏しい測定環境で知恵を絞って調整する。一々工事設計書、送信機系統図などを手書きして、開局や変更の申請をするのは、手間もかかって面倒だったが、各自の自由な発想でアマチュア無線が楽しめたではないか?
 
昔の中国人は良いことを言った
 
山は高きを厭(いと)わず 海は深きを厭わず
 
国家試験が難しいと思っているのは大人たちだけで、子供たちは目標さえあれば、何でも吸収して成し遂げようとチャレンジするものだ。果たして、アマチュア無線が魅力ある目標に成り得るのか?・・・そこが問題だろう。
 

再開局1周年を前にして、2ページにわたって当局の言いたい放題であったが、不快に思われた方には、改めてご容赦頂きたい。