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ものごとを考え続けることに終わりはない。
だからこそ、いつでも、どこでも、考えることからはじめよう。
そして、飽きたらやめてしまおう。
解のある問題を制限時間内に解く力(ダイナミカルシンキング)は、いずれ、必要とされなくなる。
静的(スタティカル)に考えることは、時間さえあれば、誰にでもできることなのだから。
焦らず、ゆっくり、自分の考えを深めよう。
そうすることで、世の中で起きているすべての事象が自分の中でいかようにもつながるし、とぎれるのだから。
一般的にポジティブ思考の人の方が良いと思われる傾向にある。
それは、「+」や「正」によいイメージがあるからだろう。
本当にそんなに単純なものだろうか。
例えば、出かけた後に「鍵を閉め忘れたかも」と気づいた時、あなたならどうするだろうか。
ポジティブ思考の人は「気のせいだろう」または「どうせ泥棒なんて入らないだろう」と楽観視する。
しかし、ネガティブ思考の人は「泥棒に入られてお金を盗まれたらどうしよう」と悲観的になる。
それにより、その後の行動が変わってくる。
先述から、ポジティブ思考の人は、一度家に帰る可能性は低いが、ネガティブ思考の人は家に帰る可能性は大いにある。
確率的には、ネガティブ思考の人が方が取り越し苦労で終わるケースが多い。
ただ、大きなミス/損はしにくい。
ポジティブ思考の人は、小さな得はしやすいが、大きな損もしやすい。
以上からいえることは。
ネガティブ思考の駄目な部分は、「悲観」による「行動」の停止。
ポジティブ思考の駄目な部分は、「楽観」による「思考」の停止。
にある。
つまり、ネガティブは点(思考)で、捉え。ポジティブは線(行動)で捉えるのが効果的である。といえよう。
よく「やりたいこと」、「したいこと」がないと人生を損している。と言われることがあるが。
そんなことは言われなくても、大抵の人がわかっていることだ。
世の中では、やりたいことが見つかった人あるいは見つけた人が「勝ち組」で、見つかっていない人が「負け組」のようなレッテルを貼られているように感じる。
なんとなく、大学へ行って、なんとなく無難なところに就職して、お金を稼いで、なんとなく結婚して、なんとなく家族を作って、なんとなく家を建てて、なんとなく子供を育てて、なんとなく死んでいく。
そのような人生も決して悪くはないと思う。
ただ、なんとなく進んできた人生の終わりを何も後悔なく、そのまま終われるだろうか。
では、どうやって人生において各々が「すべきこと」や「したいこと」を見つけ、ほとんど後悔なくよい人生だったと終わり(死)を迎えることができるのだろうか。
それは、まず終わり(死)を意識すればいい。
死ぬまでに自分は何を成し遂げたいだろうか。そんな大それたことでなくてもよい。
例えば、世界一周旅行や、定年退職したらリゾート地で暮らすなど。
それを実現するためには、どうすればよいか、定年まで健康でいるにはどうしたらよいか。
それらを考えることができれば、自ずといますべきことが少しばかし見えてくる。
ざっくりでもいいから、先々を考えることは、今この瞬間の行動や思考を変える特効薬になる。
生きること(今)を考えるために、終わり(死)を考えるのは非常に効果的である。
よく成功者と比較して揶揄する物言いに「お前はそういう器じゃない」と言うことがあるが、そういう器とは、どういう器のことだろうか。
人の度量に決まった大きさなんてあるのだろうか。
いや、人の度量にサイズなんてない。
しいては、云うならば、ケースバイケースでその受け口を上手にコントロールできる人のことを「器が大きい人」というのだろうか。
個々人の可能性というものは【器】ではかることなんてできやしない。
だからこそ、人間というものは面白い。
人や世の中の流れ(経済)の器を推し量ろうとしているのが、現在のAIがしていること。
その予測が100%の精度に達したら、胸を張って、「そういう器じゃないな」と言える時代が来るだろう。
日常的によく使う言葉(挨拶)には「おはよう」「おやすみ」「ただいま」「おかえり」「おかえり」…、などがある。
それらと同じくらいの頻度で他人を励ますときに「がんばれ」という言葉は使われる。
「がんばれ」と投げかけることには、以下の3つの真意が考えられる。
1. 賛同:相手の未来への行いに賛同し、何かしらの成果を期待している(それにより、自分も利益を得る)
2. 友好:行う事柄に関心はないが、相手へ好意を示したい
3. 反射:過去の経験から反射的に「がんばれ」と発する(本当は逆のことを思っていても)
「3. 反射」の意味で、「がんばれ」を使っているのが大変多く見られる。
これは相手への思いやりがあるようで、実は全然ない。
なぜなら、責任が欠如しているからである。
いわば、「がんばれ(好意)」の大安売り。
信頼関係が成熟すればするほど、相手のこと(状態)を気にかけ、言葉をチョイスできる。
そのため、「がんばれ」とは反対の「がんばりすぎるな」という言葉を投げかけることもできるようになる。
本当に相手のことを思って発するのであれば、どのようにがんばれがよいか(手段や方法)を自分なりに考え、説明するのがよいだろう。
それにより、「1,2」の目的を確実に実現でき、自分も相手の両者ともがハッピーになれる。
会社である程度のキャリアを積むと「スペシャリスト」か「ジェネラリスト」のどちらかの選択に迫られる。
※一般的には研究者やエンジニアがスペシャリスト、経営者や管理職(各部署の)がジェネラリストに分類されがちである(私は経営者は経営のスペシャリスト。管理職は管理のスペシャリストだと考える)
スペシャリストは、深く狭く。
ジェネラリストは、浅く広く。
に、特化するようにと。
ここに大きな落とし穴がある。
まず、「スペシャリスト」と「ジェネラリスト」の2つに分けていること自体が大きな間違いだ。
なぜなら、世の中の大半がサボり癖のあるジェネラリストに身を甘んじてしまっているからだ。
プロならジェネラリストのスペシャリストを目指すべきではないだろうか?
何事も、その道のスペシャリストを目指すこと、それが成功への第一歩である。
スペシャリストの対義語として、ジェネラリストという言葉があるせいで、世の中に、中途半端な人を生み出してしまっているのである。
大人になっても自分自身に特別な才能を見出せない人は、ジェネラリストのスペシャリストを目指すべきである。
これは、特別な才能がなくても、誰でもなれる。
やるべきことは、「学び、考え、色々な視点を持ち、かつ、それらを活かし、行動に移すこと」だ。
スティーブ・ジョブズは典型的なジェネラリストのスペシャリストだ。
彼はPCのスペシャリストだった親友のスティーブ・ウォズニアックの才能に気づき、広い視点と行動力で、あそこまで登りつめた。
たまに、マルチな才能を発揮するタレントが話題になるが、あれも、ジェネラリストのスペシャリストだ。
ジェネラリストのスペシャリストとして思考力が高まれば、何をやっても、ある程度の能力と結果は発揮できる。
大切なのは、より深く、より広くなることだ。
その際、何事にも応用できる思考力と行動力を鍛えることが、プロのジェネラリストとして、開花するためには必須である。
そのために、さあ、学ぶこところからはじめてみよう!!!!
