ある夜、信号のある交差点で立ち止まった際、私はふと、そこに掲げられた立て看板の文言に目を奪われました。


「信号を守りましょう」


 その瞬間、私の頭には奇妙な情景が浮かびました。自衛官が四方に立って、まるで貴重な宝物であるかのように、信号機を銃で警護している、そんなおかしな風景です。もちろん、そんなわけはないですよね。

私たちは、信号という「ルール」に従うことで、自分自身や他者の命を守り、交通という「秩序」をまもっているのです。


「そうか、ルールも祖国も、同じ『守る』なんだ。」


 当たり前だけど、でも、当たり前じゃないかもしれない。


 なぜ日本語では、無形のルールと有形の対象に対し、同じ一語を用いるのだろうか?

 そして、この言葉の使い方が、私たち日本人にどのような意味を持つのか?

 この素朴な気づきから生まれた探求心を起点に日本語の「守る」という言葉の特殊性と、それによって示される日本文化における「社会の秩序と個人の安全の一体性」という意識構造を、英語・中国語との比較を交えて考察してみます。


1. 日本語「守る」の多義性と意識の融合

日本語の動詞「守る(まもる)」は、主に以下の二つの意味を担っています。

  1. 遵守(じゅんしゅ): ルール、約束、法律、信号などの抽象的な「規範に従う」こと(例:ルールを守る)。

  2. 保護(ほご): 危険や損害から具体的な対象(国、家族、財産など)を「防ぎ護る」こと(例:祖国を守る)。


 私たち日本人の心の中では「信号を守る」という行為が、「規範の遵守」という行動レベルの意味を超えて、「その規範に従うことによって、共同体や家族を危険から保護し、平和な状態を維持する」という目的レベルの意味無意識下で強く融合しているのだと思うんです。


私たち日本人の意識構造:行為と目的の統合

  • ルールを守る(行為) = 社会の秩序を守る(目的)

  • 信号を守る(行為) = 皆の命と安全を守る(目的)



 『信号に従いましょう』ではなく『信号を守りましょう』の方が自然ですよね。

 この「守る」の感覚は、個人(の行動)が共同体(の安全)に直結しているという集団主義的な価値観を背景に、秩序を重んじる文化の中で自然に受け入れられているんだって感じます。


2. 英語・中国語との動詞の使い分け比較

 英語や中国語では、この「遵守」と「保護」の意味を明確に区別する異なる動詞を使うため、「ルールに従うこと」と「家族を護ること」の間の言葉の繋がりが日本のように密接じゃないんです。


言語「ルールを守る」「祖国を守る」意識構造に見る違い
日本語ルールを守る祖国を守る行為目的一つの動詞で融合し、一体的な意識を容易に持てる
英語Follow the rulesProtect the country行為(Follow)目的(Protect)の動詞が明確に分離している。
中国語遵守規則 (zūn shǒu)保護祖国 (bǎo hù)遵守(規範に従う)保護(危害から護る)の動詞が明確に分離している。

3. 日本の意識構造の特殊性

 この比較から、私たち日本人の「守る」に関する意識構造を整理してみましょう。

  1. 秩序と安全の同一視: 日本語の「守る」は、「規範への服従(遵守)」「安全の確保(保護)」本質的に同じ行為として捉えています。これにより、「ルール違反は、直接的に共同体の安全を脅かす行為である」という感覚が、無意識のレベルで共有されています。

    だから「信号に従いましょう」より「信号を守りましょう」の方が私たち日本人は自然に聞こえるのです。


  2. 曖昧さの効用: 言葉の「曖昧さ」が、「規範」「共同体」という異なる対象間の関係性を強化し、社会秩序維持の意識を深める役割を果たしているとおもいます。


    4. 相互理解と「守る」べきもの

    このように、私たち日本人は「ルールを守る」という言葉に、社会やコミュニティ、そして家族を護るという深い意図と目的を無意識のレベルで統合しています。この言葉の構造は、日本という国の文化と社会の成り立ちそのものを反映していると言えます。

    しかし、この構造は諸外国語の多くとは異なります。

    外国人が「ルールに従う(Follow/遵守)」という言葉でしかその行為を理解できない場合、「ルールを守りましょう」という日本語が持つ「社会全体を守るための協調と責任」という機微は、残念ながら十分に伝わらない可能性があります。


    私たち日本人は、まずこの言語的な違い、すなわち「ルールも共同体も一つの『守る』で捉える文化」が、多くの外国人には共有されていないことを理解し直す必要があるのかもしれません。


    同時に、日本に来られる外国人の方々にも、私たちが「ルール遵守」を単なる個人行動ではなく、「共同体の秩序と安全を護る」という深い文化として捉えていることも理解していただくことも重要です。


    相互理解と尊重こそが、豊かな社会を築く基盤となります。


     そして、日本の社会やコミュニティ、家族を大切にするこの価値観と秩序を侵害する行為に対しては、私たち自身の文化と安全を「守る」という強い意識を持って、「守る」ことが、これからの多様化する社会において、より重要になってくると思うんですよね。