こないだ、JRウォーキングで、桂川町に行ったのである。JR桂川駅⇒王塚古墳⇒天神山古墳⇒筑前一揆の門⇒あちこちというルートである。事前に地図が貰えるので、ルートと途中の見どころが把握できる。さて、次は「筑前竹槍一揆の門」と思い歩いていたが、それらしきものも見当たらない。
前を歩いているウォーカー(おばちゃん)が、立ち止まって門を見ている。何か、名のある門か?と思って見てみたが、特に看板や説明書きも見当たらない。それに、一般人の古民家入り口みたいにも見える。
しかし、説明書と突き合わせると「この門じゃ」ということが判明した。看板すらないので、ほとんどのウォーカーは気がつかず素通りだ。
門の部分には、一揆の際に打ち込まれた鍬やなたのキズが残っています。
一揆といえば、江戸時代の百姓一揆かと思うのですが、明治6年(1873年)に、起こったものです。嘉麻郡で起こった農民一揆や田川郡で起こった打ちこわしが筑前全域に広がり、10万人以上が参加して福岡県庁までが襲撃されたとか。(そんな大事が起こったのは、知らんやった)
一揆の理由としては、明治政府の徴兵制や太陽暦の採用・身分制度の廃止など、明治政府の急激な改革・米価の高騰があったと言われています。
住所が不明なので、スタート/ゴールの桂川駅からのルートを載せておきます。