私ね、労ってもらいたかったの
外から帰ってきて
「こんなことあったよ」とか「もう、ちょっと聞いて!」ってうちの人に話したり
友達に話したりするでしょ?
うちの旦那さんて自分の会社であったこととか
全く話さないの
それは「仕事を家庭に持ち込まない、男の美学」だと思って尊重してきたんだけど
話さない人には話せないってことがわかった・・・
いくら話しても、話すだけって感じがしていて
何だか話す甲斐がないっていうか・・・
共感の深さが物足りなかったんだな
やっぱり深いシェアをしてくれる人には深いシェアを返したくなるもん
昨日
自分の3歳くらいの記憶を思い出したの
幼稚園が嫌いだった
幼稚園に行っても、何をして遊んだらいいのかわからなかった
エネルギーの使いどころがわからなかったの
絵を描いても、ねんどしても、外で遊んでも
何だかとりあえず時間をもてあましているような
そんな子供だった
5歳くらいになるころには
「幼稚園なんて無意味なもんだ、とりあえず自分を殺して時間だけが過ぎてくのを待つしかない」
くらいの達観した子供だったの
だから幼稚園から帰ったら
「お勤めご苦労さま」くらいの気持ちだったんだよな~
家に帰って
「幼稚園、楽しかった?」って聞かれても
「全然・・・」て感じだったけど
何だか家に帰った安堵感みたいなものを感じていたの
そう、どんな言葉でもいいから
外から帰ったら労って欲しいのだ
たとえそれが遊びであったとしても
私の中に「女が子供を旦那に預けて外にでるのは申し訳ないことだ」って
思い込みありました(キャンセルしま~す)
だからホントは遊んできたりワークに行ってきたりしても
「外に出させてもらったんだから」
みたいな変な遠慮があって
「疲れた~ちょっと休憩しよう」って言うより
「ごめんね、すぐにご飯にするからね」
って言ってきたんだ
労ってもらうことを拒絶してきたのは
私じゃん
それでもって
もっと深いところには
今生こそでっかい仕事して
あっちの世界に行ったら
みんなに
「頑張ったね~」ってほめてもらいたい
なんて気持ちもあったの
でっかい仕事しないとみんなに認めてもらえない
これも思い込みじゃん(またまたキャンセル~)
仕方ないから
今日は自分で自分を「いい子いい子」ってして労ってあげます