Thai-American-Japanese

Thai-American-Japanese

ノンフィクション or フィクション

どっちでしょ?

Amebaでブログを始めよう!

小学校に入った。

田舎の小学校。


保育園とは大分違ったけど、

それなりに楽しんンでたと思う。


その頃流行っていたのは

水で落とせるタトゥー。


上級生は皆気が荒かったけど、

僕には関係のない事だった。


毎日早朝にいつもの仲間と

川を上流に上がれば学校。


毎朝、制服をびしょびしょにしながら、

川を上がり登校するのが日課になった。


どうせびちょびちょになるのだからと、

僕はランドセルを学校に置いていくようになった。


親父はまた別の仕事に移った。

その頃には何も把握してなかったけど、

もっと大きな都市で、会社を作ったようだった。


でも僕には関係ない。


その頃に覚えているのは、

保育園の時に僕の肩をもんでくれていた子が、

別の小学校に行って悲しかったこと。


そして親父のたこ焼き屋の後を継いだ

叔父さんが、毎日僕のおやつを用意してくれていた事。


ぼくは毎日、叔父さんが継いだたこ焼き屋で、

好き勝手にジュースを飲んでいた。


その頃の友達って誰も思い出せない。


でも悪い記憶はないから、

きっと幸せだったんだと思う。


きっと、たぶん、

親は駅前通りのお店をやっていて、

店の看板はたこ焼き屋だったけど、

なんだかよく分からないお店になっていた。


たこ焼き、お好み焼き、焼きそばはもちろん、

アイスクリーム、クレープ、フレッシュジュース、

とにかく色んなメニューになっていた。


お店は中々繁盛していたと思う。


その頃の僕は、保育園から帰ってきたら、

お店で軽く焦げてしまったクレープの生地と

ジュースをおやつに食べて、

それからしばらくは隣にやっていた食堂の

息子と一緒によく遊んだ。


夜になっても親は働いていたから、

僕はまた店の片隅でジュースを飲みながら

お店が終わるのを待っていた。


お店はお客でいっぱいだったののを記憶している。

店の片隅にいると、そのうちお客でいっぱいになって、

キッチンの親のいる所までたどり着けなかった程。


親に相手にしてもらえないのを不服に思った事はなかった。

産まれてからずっと親は遅くまで働いていたから、

それが僕の普段の生活となっていたし。


保育園は相変わらず楽しかった。

保育園の時にできた妹ともうまくやっていたし、

他の友達とも仲良くできていた。


先生は厳しかったけど、保育園内で起こった事で、

今不快に思い出す事は何一つないから、

多分楽しかったんだと思う。

それに好きな女の子もいた。


他のクラスだったけど、

毎日の全体集会ではいつも僕の後ろに座っていて、

何も言わず、なぜだか僕の肩をいつももんでいた。


もちろん保育園児の肩がこっているはずはないけど、

僕ははいつもその子が僕の肩を触ってくれる事を喜んでいた。

僕らは何一つ話した覚えはない。


ただ一度、彼女が僕の肩を強くもんだときに、

一言僕は、‘痛い’って軽くつぶやいた。


それから彼女は僕に触らなくなってしまった。


彼女が僕の肩を毎日触ってくれるのはとても嬉しかったし、

僕はいつも心待ちにしていたけど、

結局その一言から彼女が僕に触れる事も

話しかける事もなくなってしまった。


保育園内で起こった、ただ一度の寂しい出来事。

親が片田舎で喫茶店を始めたころ、

僕は少しづづ話せるようになっていたらしい。

1年だけ託児所に預けられず、

僕は毎日喫茶店の隅で、

オレンジジュースを飲んでいた。


お店は近くのデパートの店員さんたちが

常連として毎日通っていた為、

中々繁盛していたけど、喫茶店ってあんまり利益率が良くないらしく、

父と母は毎日朝から晩まで休みなく働いていた。


その頃の喫茶店の記憶はないんだけど、

その代り、すこしづづ話ができるようになった僕は、

友達って概念(ってそんな偉そうなものじゃないけど)を

覚え始めていた。


結局すぐして保育園に入れられたけど、

女の子と遊んでいた記憶しかない。

もちろん保育園にはいったばかりの僕に、

男の子、女の子って区別はほとんどなかったけど、

いまだに残っているアルバムを見てみると、

その中に写っている友達の姿はほとんど女の子。


なぜだろう?


男の子とも仲良かった覚えはあるのに、

男の子の友達の写真がほとんどなく、

残っているのは女の子との写真。


それも必ず手をつないでいたり、

抱きしめていたりする写真。


でもまあ、それは置いといて、

大体に置いて、女の子と一緒にいたせいか、

大人しい性格になっていた。


先生たちには気に入られていたみたいで、

お遊戯会になると、僕はかならず主役になっていた。


クラスで目立っていた訳でもないのに、

今思えば不思議な話。


保育園の年中になると、

僕の親は駅前通りに店舗の店ができたと、

そこで別の飲食店をする事になった。