生きていますと、全てが順風満帆、蝶よ花よとはいかないもの。

時として何を持ってしても埋められない喪失感に襲われる苦しみを経験します。


大切な家族を亡くしたご経験や、
大切に育てていたペットを亡くしたご経験、
大事に思っていた友人を亡くしたご経験、
そのほかにも様々な耐え難い深い悲しみ、
苦しみ悶え、消えて無くなりたい、とさえ思うご経験もあるかと思います。
 
そんな時は、親しい方の気遣いのお言葉が余計に傷を深くし、
孤独感が増していくこともあります。
深い悲しみは経験した本人にしかわからないもの。
どんな言葉も届かないのは当然のことです。
 
何を持ってしても埋められない喪失感なのですから、
埋めようがないのです。
さらに取り返せない後悔などがあると自ずと追い詰められて
息苦しくなり、落ち込みがさらに深くなることも。
 
それでも生きていかねばならない現実、
毎日をやっとの思いで終えて、
「明日、目が覚めなければいいのに。」
そう願った経験も過去には私にもあります。
 
このままではいけない。
そう思いながらも何をすれば良いのか途方に暮れる日々。
次第に人に会うことが苦痛になっていきます。
 
そんな時、人知れず「祈り」を捧げてみて頂きたいと思います。
正しく清く尊い祈りのあるところには光が射し、
祈る人、祈られる人、どちらにも光の祝福が訪れます。
 
静寂の中で、心静かに祈りの時を刻む。
 
「祈り」は実はあらゆる日常の中で散りばめられることができます。
ふと窓から見上げた空高く、美しい雲の流れを眺めながら、
今日も素晴らしい1日を皆様がお暮らしくださいますように。
 
道ゆく子供たちを眺めながら
子供達の未来が美しい世界でありますように。
 
救急車のサイレンが耳に届いた時、
どうか間に合いますように。
 
日常の中で誰かのためになることを
小さく取るに足らないことかも知れないけれど
命ある限り、
誰かのために祈ること
祈れることはありがたく、感謝で胸が熱くなります。
 
この世界のどこかに、もしくは身近に、
同じような苦しみを抱えた方がいらっしゃいます。

悲しみが深ければ深いほど、

癒されるまでの時間はかかるものです。


どこかで人知れず涙を流しているであろう、

悲しみのある方々へ光が届きますように。

 

希望が持てることで人は前を向いて生きていけるものですが、

悲しみが深い方はまず、癒やされてくことが必要です。


大きな怪我をした際に歩けるまでには時間がかかるように、

深い心の傷にも修復の時間がかかります。


祈ることも今は出来そうにないのであれば
それはまだ休息の時を充分にお過ごし頂くことがよろしいかと思います。

自分に無理をさせないことを大切にしてください。


いつしか光に満たされ、歩み出せる日のために
今日も祈りを捧げます。
 
最後までお読みくださり心より感謝申し上げます。
どうぞ美しい1日をお過ごしくださいませ。
 
mimi shanti