偽総理には、手塚治虫の「墓石の基部の土」でも喰わせたいね、爪の垢を煎じるのは不可能であるにしても | 桂昇のブログ

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戦争の無い、平和な世界になって欲しい

今、私の住んでいる所は狭く、生ピアノも含めて、ほとんどの物を処分せざるをえませんでした。手塚治虫の漫画本も例外ではなく、手元に残っているのは、「ハトよ天まで」「0(ゼロ)マン」位です。


特に幼少期の時に読んだ、「0(ゼロ)マン」は今でも愛読書の1つで、目の黒いうちは、手放す事は絶対ないでしょう。何所が良いのか、と言われても自分でもよく分りません。主人公リッキーの外見上・性格上の愛くるしさもあるでしょう。見ているだけで癒されます。


最期が、人間のバカな行動により、完全な破局は免れたものの、大きな別れと悲しみ・人間の不完全さを見せつけられた無念さ・虚無感がベースとして存在する悔しさもあるからかもしれません。


人間はもっと完全さを学ばなければ、本当の宝を手中に収める事は不可能なのです。その時初めて、火星や金星への移住小惑星セレスの地球大の大きさへの回復と移住が可能になるのだと思います。

 


偽総理は、年から言っても、手塚治虫の作品を読んでいるはずなのです。それがどうして、ああ言う「鬼っ子」に育ったのだろうか。あの多数の作品中にちりばめられた宝を、どうして、得る事が出来なかったのだろうか。後に書いてある、「テーマ」を何故汲む事が出来なかったのだろうか。


そして何より、軍産議会複合体の奴隷へとなり下がったのだろうか。その恨みを、日本人を虐めることで晴らしているだけなのだろうか。

 


ウィキペディア より
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%89%8B%E5%A1%9A%E6%B2%BB%E8%99%AB



1953年


手塚作品のテーマ


手塚は自らの戦争体験によってもたらされた「生命の尊厳」を自身のテーマの一つとして挙げている。


手塚は、自身はマンガに置いて時代の流れに合わせ転向を繰り返す転向者であるとした上で、「ただ一つ、これだけは断じて殺されても翻せない主義がある。それは戦争はご免だということだ。だから反戦テーマだけは描き続けたい。」と語っている。


手塚は子供を「未来人」と呼び、以下のように語っている。


『私は、暗い時代といわれた昭和初期のなかでも、実に恵まれた環境で子ども時代をすごせたと思っています。しかしそれも、青春期には、空襲と窮乏生活によってほとんど失ってしまいました。父は戦争にとられるし、勉強はできず、腹をすかせ、大勢の友人を失いました。空襲に襲われて周囲が火と死体の山となったとき、絶望して、もう世界は終末だと思ったものです。だから戦争の終わった日、空襲の心配がなくなって、いっせいに町の灯(ひ)がパッとついたとき、私は思わずバンザイをし、涙をこぼしました。これは事実です。心の底からうれしかった。平和の幸福を満喫し、生きていてよかったと思いました。これは、当時の日本人のほとんどの感慨だと思います。


 もう二度と、戦争なんか起こすまい、もう二度と、武器なんか持つまい、孫子(まごこ)の代までこの体験を伝えよう。あの日、あの時代、生き延びた人々は、だれだってそういう感慨をもったものです。ことに家や家族を失い、また戦争孤児になった子どもたちは、とりわけそう誓ったはずです。 それがいつの間にか風化し形骸化して、またもや政府が、きな臭い方向に向かおうとしている。子どもたちのために、当然おとながそれを阻止しなければならないと同時に、子ども自身がそれを拒否するような人間にはぐくんでやらなければならないと思うのです。 それは結局、先に述べたように、子どもに生きるということの喜びと、大切さ、そして生命の尊厳、これを教えるほかないと思うのです。人命だけでなく生命あるものすべてを戦争の破壊と悲惨から守るんだという信念を子どもにうえつける教育、そして子どもの文化はそのうえに成り立つものでなければならない。けっして反戦だの平和だのの政治的のみのお題目では、子どもはついてこない。率先して、生命の尊厳から教えていくという姿勢が大事なのではないでしょうか。』


偽総理だけに限らず、全世界の人々にも読んで頂きたい文章です。


この文章だけではなく、残された膨大な作品集に目を通して頂きたいと思います。チャプリンの映画同様今の時代だからこそ、多くの人達に受け継がれていって欲しいと、心の底から願います。