こんばんは。


今日は久々に教育について考えたことを記します。

話題は,今騒がれている大津中学校のいじめ自殺についてです。


何でしょう。

この問題,簡単に片づけられる問題でないのは確かなんですが,

皆さん,それぞれの立場に立って物事を考えているのかな?

ということを疑問に思っています。


もちろん,自殺をしてしまったお子さんのご遺族は,

ちゃんと原因を追及して,

正しい報告をして欲しいと思うのが当然だと思います。


そして,教育現場の皆さんにとっては,

できることなら事実は伏せて,

アンケートの内容などもバレないようにして,

学校・教育委員会側の責任は問われないようにしたいところだというのも,

周知の事実だと思います。



教員が一緒になっていじめていた,という事実もありますが,

これについてはどうでしょう?

そんな教員を採用したのが悪いと言えますか?

20代の時はまともだった人間が,

生きていくうちにいろいろな人と出会い,

いろんなことを考えて変わっていくというのは大いにあることです。

採用側の責任を問うのは難しいでしょう。


校長先生が悪かったとか,周りが悪かったとか,

言おうと思えばいくらでも言えることではあると思いますが,

どれも本質を突いているようには思えないんです。

つまりは,責任が誰にあったかを追求することがいいこととは思えないんです。



僕が思い切って言うことは,

「義務教育なんてやめちゃえばいいんじゃない?」

ってことです。


これを友人に聞いたら,

「それはダメ。レベルが下がるじゃん。

 でも,いじめられた子は学校に行かなくていいと思う。」

って言ったんです。


なるほど。

それが世間の大方の意見かもしれませんね。


昭和の学校は,教師が偉大なる権限を持っていました。

もちろん,その立場にあぐらをかいていた教員もたくさんいたと思いますし,

教員になりたいと純粋な気持ちを持って憧れた子どもたちもたくさんいたと思います。

でも,今はどうでしょう。

教師の権威はそれはそれはヒドいものになってしまいました。

教師の能力が低くなった,ということも否定はしません。

しかし,いずれにせよ教育現場に絶対的な信頼感を持っている親は少なくなっていますし,

それでは教員も仕事にやりがいを持てません。

もはや学校の存在意義が薄れているんだと思うんです。


そしていじめが起こるのは学校があるからだとは思えませんか?

もちろんこれは極論だとは思うんですが,

学校がなければ,「学校でいじめが起こる」ことはあり得ません。

「学校で」いじめが起こるから世間が問題にしてるような気がしてならないんですよね。


そして,いじめられた子は学校に行かなくていい,という意見も分かるんですが,

そうなるといじめられた子はドンドン存在意義を見失い,

学校に行った子どもたちとの学力差はどんどん広がり…という悪循環を見せます。


学歴社会ってのも,僕には価値観の押しつけに見えるんです。

要は,世の中を便利にしたのは学力のある人

→じゃあ,学力のある人が権力を持てる世の中にしよう

みたいな仕組が出来上がったんじゃないかな?


でも現実問題として,ホントに学力が確かなるものだったのかも分からない。

江戸時代を考えれば,やっぱり食べ物を作ってた人が1番偉いんじゃないかと思う。

政治家だってそうじゃん。

結局自分のことだけ考えて,先のことなんて全く考えてませんよね。

100年後も自分が生きていたら…なんて考えて政策を決めている人は見えません。

そう考えれば,勉強を一生懸命やった政治家たちが素晴らしい訳ではないですよね。


学校がないとレベルが下がる…というのも分かりますが,

そのレベルは本当に生きていくために必要なレベルなのかな?

ちゃんと自給自足できるようにする方が大切だと僕は最近感じています。


この先の世の中,もし食糧不足が起こったら,

自分が生きる為に食糧を持ってる人は自分のためだけに取っておくと思うんだよな~。


とは言え,もし義務教育が無くなったとしても,

今の日本ではきっとみんな学校に入れると思います。

ただ,もしかしたら企業が養成所のようなものを作って,

自社で人材を子どもの頃から育成する,ということが起こるかもしれませんね。


何か,書きたいことはいっぱいあるんだけど,

まとまる気配はないし,もう既にたくさん書いたので,この辺でやめておきます。


また機会があれば書いてみます。