胸が痛い。だいぶやばめな痛みがする。

このまま悪化しつづけたらまずい。
来週は連休がある。
その後は引越しがある。
その間ずっと仕事もある。出社日もある。

この痛み、すごく嫌な感じ。
何もしなかったら私どうなるんだろうか。死ぬんだろうか。

乳腺外科に行ったら解決するんだろうか。
乳腺外科が、私に必要な治療箇所に当てはまっていればいいけど、
そうじゃなかったら今度こそどこに行けばいいんだろう。

乳腺外科が「とりあえず」と薬を出してくれたとして
原因にクリティカルに効かなければ痛みはなくならない。
だってロキソニン飲んでもダメだもん。痛いもん。
ロキソニンでダメなら、たいていの痛み止めは役に立たない。

今日も途中に起きるんだろうか。
痛みで起きるって最悪だな。






絵本的な、空想的な絵なら残していきたいと思って描いた。
好きな景色の片鱗なら描ける気がした。それなら残す価値もあると思った。




『ポラリスが降り注ぐ夜』

「私達はずっとここにいるの。常に複数形で、いるのよ。」

素敵な言葉だった。

それに対して「単数形の物語も大切じゃないのか」という言葉も出てくる。


私は今、複数形に吸収されたい。単数形になるのが怖い。
個人の病や死はいつだって悲劇だ。
だから、単数形にしないで。
私は私個人の死を見つめる勇気がない。

大きな視座で見れば、私は米粒以下の存在になれる。
「みんな」死んできた。ほとんど「みんな」何かしらの悲劇で死ぬ。
私もその一部だ。
いつものことだ。

フォーカスしなければ、他人事としてひとまず納得できる。


これが本当に大病だったとしても
「どうして私が?」とは思わない。
病気なんてよくあることだ。私の身に起きたというだけ。
私に、世界から惜しまれるような要素はない。
ただちょっと若めな人間が1人死ぬだけだ。


そういう場面になった時
他ならぬ私が死ぬのだ、という事実は直視しがたい。
他の誰でもない私の死。
代替不可能な私の死。





「あなたの番です」でイケメンが作ってたような装置を作りたいと一瞬本気で思った。
しゃべるななちゃんアプリ。

私のbot作れたらいいのに。
アメブロの記事とかTwitterとか、AIに言葉遣いを覚えさせたら可能な気がする。
もちろんそのシステムを構築する知識はない…。