今、半年を思い返すと多くの出会いとドラマがあった。
そして身近の友人や関わった方々、全てに感謝。




特に直近で行った、大阪・京都・奈良・三ノ宮はこの半年の集大成ともいえる、そんな二日間だった。
神にもすがる思いと言うのは、これで二回目だったのだけれど、それ以上に確実も導かれていたことを後から悟った。




引力は、自分で起こすものだと改めて核心に迫る、そんなことを一つ悟った。
僕のアイデンティティとは、とかそんなことも考えていた。
何か漠然と大きな歯車になれない不安な日々を過ごすこと、でもそれも実は貴重であったのかもしれない。
しかし、その日々が僕に柔軟性とアイディアと語彙をもたらせてくれた。
意味のある一日一日を過ごすことも出来た。
同時に、改めて僕を知る機会を多く設けることが出来た。




今の自分はとても洗練されていると思っている。




自分に約束した半年を、裏切ること無くしっかり守ることが出来た。
これで自分にまた一つ、自信を持つことも出来る。




これら一連は喜ばしいけれども、『何か巨大で大きな化け物』と戦った後の喪失感は大きい。
逆に目に見えなくなったものも多くあるのかもしれない。
だからこそ、一歩一歩地を踏みしめながら、今まで以上の触感を研ぎ澄ます。




荷物なんて何も持たないで飛び乗れ!




前よりかは小さくなった帆船だけれども、また一つ大きくなる為にこの片道切符を手にしたのだから。
身の丈に合ったところから、まずは改めて始めてみようじゃないか。




本当の過去の決別の為に、全ての紙面もデータも破棄して、まっさらな思いで大きな一歩を踏み出す。
まだまだ序曲にも満たない今を、眠れずにドキドキしながらあと数回朝日を見ることになるだろう。




本当の朝は、嫌でもやってくる。




今の僕は、少なからず幸せだ。
この気持ちはずっととっておこうと思う。




最後に笑うのは、僕なのだから。ね。
――自分を変えるべく二日間を、いよいよ迎える。




そう高を括って準備すら何もしていない夕方の一刻を、好きでもないコーヒーをすすりながら、
そして相変わらずの原因不明の咳で腹筋を鍛えつつも、思い思いに過ごす。




片手に取ったギターにシールドを通してアンプを鳴らしてみては、ミュージシャン気取り。
たまにはこんなのも良いか、とスロウテンポな曲をかけながら、それに合わせて鳴らす。
不思議なもので、見てきたミュージシャンたちの弾き方もクセも似てきてしまうものなんだな、って既に飽きてベッドでぐったり読書。




大阪、京都、奈良、そして神戸。
大阪は拠点、京都・奈良は過去を払拭すべく、翌日の神戸は僕の未来を選定する。




今回のこれらは、つい一週間も立たぬうちに出来た、然るべきスケジュール。
未来はね、約束されないものだから自分と作るしかないのね。
僕の見てきた人たちは、継続という形で栄光をとうに掴んだ後も活動してきた。
継続するということが、何よりも人として輝ける証なのだと、たまに買う雑誌に出てくる評論家やアーティストの言葉がそう言っている。




昨年、多くの再会があった。
僕の『継続』は、掘り下げれば小学生からの友人とも今でも呑み交わしていることだったり。
それくらいなものだ。
いつも地元の友人と月に一回あるかないかくらいは会ったりしている。
高校時代の友人なんかもそうだ。
僕の『継続』といえばそれくらいなものだし、そこからまた更に広がりを見せるという人間関係の波に今は揉まれて、更に丸みを帯びて冷静になれている気がする。
これも、『継続』したことによる結果でもあり、これらはこれからも続いてゆく。




改めて、尊敬してきた先人たちの言う事をしっかり聞いて、これからも『継続』を誓おうと、改めて心に刻み込んだ。




どんなに過去に一瞬華やかなときがあったって、楽しくて幸せで素敵な過ごせたことがあったって、
僕らは現在(いま)を生きる。




――だとしたら、僕はまだ輝ける!




その一時期が華やかだったとしても、それはきっとよく言えば蛍の光の如く、瞬間の美学というか。
僕自身の名前を大きくすることが、何よりの目標だ。




モテたい、の小さな考えではなくて、誰よりも顔を広くすること、これが鍵になる一年だと思っている。




潤、というヒトとして生まれてきて、するべきことは多くあるはず。
音楽だって、今年は時間に対してもっと敏感になりながら再活動する。
服飾業だって、ビジネスを楽しむかどうかでもあり、まだ僕には多くのアイディアがある。





僕の使命は、これからも如何に多くの人を巻き込んでいくことか、だと思っている。
そして、三十路を前にブレないこと、活動を『継続』してゆくことが僕の最大のテーマだと今更思い知らされた。




35歳くらいになったときに、改めて皆に自慢出来るような生き方を送れていたら良いな。




――自分が動かなきゃ、誰も動かない。




やっぱり何一つ旅の準備は出来てない現状に、今もこうしてタイプしていることに、少しは慌てよう。
いや、後で慌てよう。




どうせ、明日の夜はもっと慌てふためくのだから。
今日はもう良いや。




最後に笑うのは僕なんだと思いながらも、重い腰を上げてみる。
三が日もあっと言う間に過ぎ、明日からはまた電車が大混乱。
そして溜まるメールボックス、追い打ちをかけるように問題多発。
連休明けっていつも泣きたくなるようなことばかりですよね。
ここ数日で肥えた体も悲鳴をあげるでしょう(笑)




皆さんの新たな決意だとか、そういうの毎年読ませて頂いてます。
ざっくりと、大概がモノ(やりがい)、人(環境)、金(仕事)に関してですよね。
ううん、僕の価値観の違いなのでしょうか。
その中にイマイチ疑問を持ってしまったり、そんなことイチイチ書いて、肝っ玉の小さい男よ、とか思ってみたり。
人それぞれであって、まあそれも然り。




何度も言ってるかもしれませんが、肉体的な肥えはいくらでもそぎ落とせます。
でも、心まで肥えてしまって根本的な大事な何かに気づいていない、僕と同じく地に足がついていない、つまるところ身の丈にあってないな、なんて思うこともあります。
心の肥えは、痩せることを学習しようとしない。
自意識過剰の化物が、僕の十数個上にも存在しているのは、逆に反面教師になっていいです。




TwitterやFacebookやfoursquareでは、よりリアルに誰かの人生の断片を追うことが出来ます。
最近、スマートフォンを持つ楽しさも分かってきて、より誰かの人生について興味を持つことが増えました。
僕の使命なんでしょうか。どうしたら、地に足をつけて身の丈にあった生き方が出来るのか。
謙虚であることも大事。でも謙遜も違う。
ビッグマウスであることは自分の尻を叩くきっかけになる。でも実際少しはそう思ってる。




要は、僕も含めてその人の人生はその人が決めるべきなのだけど、人には上も下もいない。
どう努力したのか、或いは単なる天才肌だったのか、それも何か違う。
人を人で比べることはとてもナンセンスで、下劣であること、自分も重々理解しました。
人間は、他の動物とは違う。




自分の敵は常に自分であり、その逆も然り。




早く、素敵な一日が始まると良いな。




時に余裕が出来たとき、愛してみたいってそう思える人もいる今、それでも自分と戦う。
納得行くまで、戦う。
死ぬまでが戦いなのだと、男なら改めてそう思う。