世界が「聖書」を読んでいるのに、私も読まずにおれようか!

世界が「聖書」を読んでいるのに、私も読まずにおれようか!

「自由なお塩」の日記。
愛するジーザスとの歩みを綴ります!「聖書」は日々を生きるエッセンス!

大切なものは、目に見えない・・・。

目に見えないけどジーザスは
私の手を取り、一緒に歩いてくれている!

ジーザスはしきたりや規則でガチガチ固められた処には、お住みにはならない!

だから、貴方の心に住みたい、って・・・!!

貴方は神様の「ご大切」です!
\( ^o^ )/                                          
ゴールデンウィークも後半!後2日で仕事かと思うと、今日が楽しめなくなるバカな私🤣💦

でもそれが終わるときっと、また次の楽しい予定を立てて、それが目標になっていくんだろうな…そうやって歳をとっていくのか〜と思うと…正直、虚しさも感じる😔

『祭りの後の静けさ』という言葉があるように、人は楽しさの後には寂しさを覚える。でもその感覚がある意味イイのかもしれない!

『人の心の中にはポッカリと空洞があってそれは神様しか満たすことが出来ない』とパスカルの言葉にあるように🤔

【だれでも渇いているなら、わたしのもとに来て飲みなさい。わたしを信じる者は、聖書が言っているとおりに、その人の心の奥底から、生ける水の川が流れ出るようになる。】聖書の言葉

約2000年まえのユダヤの「水取りの儀式」という大きな祭の最中に、イエス・キリストが大衆に言い放った言葉だ!中東の乾き切った砂漠が広がる国々では、水は供給と命を象徴していた。

内側から外側へ向かう流れ。イエスを源とするならば、それは外側から与えられるだけでなく内側から湧き出るものとなる!

自分が満たされる為に、環境や外的な要素…評価、結果、状況に依存しすぎていないか?

代わりに内面と向き合う時間、祈り、静けさを選び、日々の行動に繋げよう。内側が整う時、私達の行動も安定してくるから。

イエスの愛は一時的な必要を満たすだけでなく、困難な時にも流れ続ける持続的な内的状態を生み出してくれる!

水が豊富な国のように必要な物が揃っているならば、全ては恵みであること、自分には恵みが必要であることを知ることは、なかなか難しい。

でも、自分が空っぽであること、渇いていることを知る者にそれは訪れる。 

汲めども、汲めども尽きることのない生ける水を得るためには「渇き」という自覚が必要だ!

恵みの賜物は「渇く」者に与えられる。

私たちの全ての生の行動は、すべて「渇き」から始まっているから!

人に必要なものはお酒でもジュースでもなく水である。イエスは源であり、私たちの人生の渇きを潤して下さる!

「渇き」はどうしても満たされなければならない。

だから探ってみよう、あなたは何に渇いているのか…?🤔

「だれでも渇いている者は、わたしのところに来て飲みなさい。」と言うのなら

「その水、私にください!」と、ただ求めればいい!イエスの元に走って行って!

生ける水の川が流れ出るようになる!🤗