中嶋悟 「SATORU NAKAJIMA」 1991
日本人初のフルタイム・F1・パイロット。
87年に念願のF1デビュー、それも名門ロータス。
エンジンはHONDA、メイン・スポンサーはCAMEL。
相棒はあのアイルトン・セナ。
87年に念願のF1デビュー、それも名門ロータス。
エンジンはHONDA、メイン・スポンサーはCAMEL。
相棒はあのアイルトン・セナ。


ブラジルで7位、サンマリノで6位、モナコで5位と滑り出しは好調、
そしてシルヴァーストンGPでは4位入賞、
1位がマンセル、2位がピケのウィリアムズの1-2、
3位はセナ、4位が中嶋のロータス3-4、
つまりHONDAエンジンが1位から4位まで独占、という結果でした。
そしてシルヴァーストンGPでは4位入賞、
1位がマンセル、2位がピケのウィリアムズの1-2、
3位はセナ、4位が中嶋のロータス3-4、
つまりHONDAエンジンが1位から4位まで独占、という結果でした。
生涯、「雨のナカジマ」と異名をとるほど、
トラクションのすくない雨天のレースが得意で、
また、粘り強く完走できればいい位置でフィニッシュできたことから
「納豆走法」と古舘伊知郎によるネーミングも頂いたのです。
トラクションのすくない雨天のレースが得意で、
また、粘り強く完走できればいい位置でフィニッシュできたことから
「納豆走法」と古舘伊知郎によるネーミングも頂いたのです。
その中嶋さんが91年のレースをもって引退を表明、
彼のF1人生を振り返った「モノローグ」という形で構成し、
間に矢萩渉(安全地帯)の歌が挿入される、という内容で、
実は中嶋氏も「悲しき水中翼船」という歌を唄ってます。
そんな中嶋さんと鈴木阿久里がF1ブームを日本にもたらし、
当時がブームのピークであったことは否めません。
彼のF1人生を振り返った「モノローグ」という形で構成し、
間に矢萩渉(安全地帯)の歌が挿入される、という内容で、
実は中嶋氏も「悲しき水中翼船」という歌を唄ってます。
そんな中嶋さんと鈴木阿久里がF1ブームを日本にもたらし、
当時がブームのピークであったことは否めません。