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DAN AR BRAZ 「HERITAGE DES CELTES」     1993

『総勢80名のケルト圏のミュージシャンが参加。
モダーン・ケルト・ミュージックの集大成アルバム。』

 ダン・ア・ブラースというヒトの邦題「ケルトの遺産」という作品です。

 このダン・ア・ブラースという人、実は76年あたりに一時期フェアポートに
在籍したことがあるようで、フェアポートのファミリー・ツリーを見ると
たしかに名前が載ってました。アルバム「GOTTLE O'GEER」リリース前の
コンサート・ツアー用のバンドに抜擢されてたようです。

 後にフェアポートのサイモン・ニコルが
「やがてすべては終わった。彼らはバンドの体裁を整え、計12回のショーを行なったけれど、
いずれも『GOTTLE O'GEER』とはほとんど関係のない内容だった。
あの時のメンバーはペギーとスウォーブ、ブルース・ローランドの3人に
フィドル・プレイヤーのロジャー・ブリッジ、ピアノ奏者のボブ・ブレディ、
ギターのダン・ア・ブラースというものだった。いったいどういった経緯で
ダン・ア・ブラースが加わることになったのかわからない。
彼自身、醜く混乱しているようだった...。」
と回想しています。(アルバム「GOTTLE O'GEER」のライナーより)
フェアポート時代のダンはレコードには参加していないようなので、
あくまでもツアー・メンバーとしての活動のみのようです。

 さて本作にハナシを戻しますが、93年に行なわれたケルト・フェスティヴァルに
80人ものケルト・ミュージシャンを率いて演奏したダンが、そのコンサートを再現すべく
アイルランドのダブリンにて80名が再会しレコーディングされたのが本作です。
その後さらに本作をライヴで再現したライヴ盤も出てるようです。(こちらは未聴です)

 ダン自身、ブルトン人(仏ブルターニュ出身)ですが、この「ブルトン人」というのは
もともとケルト民族なのですが、4~7世紀あたりにかけてアングロサクソンの武力に
迫害され、海峡を渡りブルターニュ半島に逃げ込んだ民族で、このブルターニュの地で
「ブルトン文化」と言われるもう一つの「ケルト文化」を築き上げたのでした。
もちろん本アルバムに収録されている曲も、すべて平和を願って唄われたものばかりで、
"ケルティック・ロック" とでも言いましょうか、ダンス・チューンやバラッドなども
バランスよく配してあります。

 特にイレーヌ・モーガンというフィメール・シンガーが唄う「海の果て」と
「エリツィア」(このヒトの唄い方自体、そしてバックの演奏もトラッド色が薄い)、
カレン・マシスンが唄う「我々の美しき言葉」に絡むフィドルの哀愁を帯びた音色、
イリアン・パイプをフィーチャーした、躍動感あるリール(舞曲)「スパイク・アイランドの娘たち」
そして元々はギター用に作られた曲をバグパイプのアンサンブルで演奏した「スコットランド組曲」
など、素材的には英仏混在した作品ですが、なかなか聴き応えのあるアルバムでした。