忘れもしない1977年12月、虎の門久保講堂へフェントン・ロビンソンのチケットを握り締め、
たどりついた私はその場で初めて、フェントンがエディ・テイラーに差し替えられたのを知りました。
当時、私はエディの名前すら知りませんでした。
バックのマイヤーズ兄弟とのコンビネーションもあまり良くないし、
なにしろ、エディ自身がプレイすることがあまりないという状況の中での、
それも異国でのステージなので、かなりギクシャクしてたみたいです。
実際、一番ウケが良かったのはドラムスのオディ・ペインJr.の歌う「I DON'T KNOW」だったと記憶してます。
しかし、このようなブルーズマンをフェントンの代役と言えども日本に招聘できて、
かつ、P-VINEという日本のレーベルでライヴ・アルバムが出せた、というのは
素晴らしき70年代のブルース・ブームだったように思えます。