久しぶりに夫の実家へ。
前回は、確か薔薇の季節にお庭の薔薇を持参した以来の訪問。
45年前、亡き義父が私財を投じ建てた舞殿は、今も様々な行事に使われていますが、義父を取り巻く当時の関西経済界の方々、神社の総代さん氏子さん達や消防団、ボランティアさんに支えられ、(秋祭りの『献茶式』同様に)『神事』として『富松薪能』をこれまで続けて来られたのではないでしょうか。
今夜は、最終奉納として開催されました。
途中、尼崎市長さんのご挨拶もありましたが、その中で、
「『富松薪能』は、あくまでも『神事』としてこれまで執り行われて来たものでありまして、尼崎市として開催しているものではございません。」
と、話されていましたが、おっしゃる通りですね。
これは、翌日の市長さんのXより。
市長さんのXへの投稿は、こう続きます。
尚、この尼崎市長さんは、小学校1年生だった孫Aちゃんへ『教育長賞』を下さった、当時の教育委員長さん。すごいご縁です事🤭
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市長さんのX投稿の中に、『矜持(きょうじ』という言葉があり、心に止まりました。
AIで調べると・・・
「矜持(きょうじ)」と「プライド」の主な違いは、外部の評価を気にするか、内面的な信念を重視するかという点です。
プライドは他者との比較や評価に左右されやすい「外面的な誇り」であるのに対し、矜持は「自分の能力や信念に裏打ちされた内面的な誇り」です。
コレです、コレです❣️
何をさせても優秀で天才肌の亡夫が、何故かとても謙遜(優越感も劣等感も無い)だったのは、この『矜持』があったからだと思います。彼自身も気付いていない『矜持』がその根底に流れていて・・・何事にも何者にも動じない深い落ち着きがありました。AIでは『能力や信念』と書いてありますが、『能力』と言うより・・・長い歴史と文化に刻み込まれた『遺伝子・DNA』の様なものでは無いでしょうか?
一つ、謎が解けたような気がしました。
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受付で、保存会の方々へ『45年間の感謝』を込めて(夫が、生きていればしたであろう)寸志をお持ちしましたが・・・一切受け取らないとの事。
すると・・・一人の男性が、私の後を追いかけて来られ、
「ひょっとして、旧姓〇山さんではありませんか?」
と、声を掛けられました。
「はい、そうですが・・・えっ⁉️
Kさんですか?」
何十年ぶりでしょう・・・、夫の友人でもあり、私の中学高校時代仲良しだったクラスメート、地元の名家で総代さん?氏子さん?のお一人・・・懐かしくて・・・夫の最期の話をしたら、👀がウルウルしてしまいました。
その他、ゴル友の薬剤師の先生はご夫婦揃って観に来てくださり、逸翁茶室での姉弟子Tさんもドイツ(現地で茶道を教えて居られます)から丁度一時帰国されていて、感激して帰られました。
又、逸翁茶室の妹弟子のYさんもお母様とご一緒に着物を着て、この『さよなら富松薪能』を最後まで見届けて下さいました。
日本の伝統的な・・・と言っても、いずれも中国や韓国からの影響を受けたものばかりですが・・・文化や美意識に私は強く惹かれます。